霊性のQ&A

霊性のQ&A
(質疑応答)

まえがき

「ヴェーダーンタ」、「神」、「魂」、「心」、「人間関係」、さらにさまざまな場所で寄せられた質問に、ラーマクリシュナ僧団の支部、日本ヴェーダーンタ協会のスワーミー・メダサーナンダがお答えします。
 ここで取り上げられている質問の大部分は、多様な観点から、もっと深く詳細に取り扱われているかもしれませんが、ここでの解答は一般的な読者に合わせて提示されています。
 質問をざっと見ると、非常に深いものもあれば、かなり単純なものもあることが分かるでしょう。解答は質問の性質によって、簡単に理解できるものもあれば、深い理解を必要とするものもあります。
 それぞれの解答は読者が十分に満足できる答えを見出せるよう、読者の心の中にさらなる思考を呼び起こすための暗示が見いだせるよう考慮されています。
 現在のところ、95の質問が次の分類に従ってまとめられています:

 I.        ヴェーダーンタ 
 II.       ラーマクリシュナ/サーラダー・デーヴィ/ヴィヴェーカーナンダ
 III.      ヒンドゥイズム 
 IV.      神と霊性 
 V.       霊性の修行 
 VI.      心の平安と歓び 
 VII.    人間関係 
 VIII.   その他 

 ここに出ている質問があなたの疑問に合致しているかどうか、次の質疑応答のページを見てください。スワーミー・メダサーナンダの解答はあなたの質問につながるはずです。
 彼はここで、多くの共通する質問に一般的な解答を提供しています。もしあなたの質問が十分にあてはまらない場合は、あなたの国のヴェーダーンタ協会に駐在しているラーマクリシュナ僧団の僧が、さらなる情報を提供してくれるでしょう。
 この「霊性の質疑応答」に関する質問や意見や提案があれば、
<SpiritualQA@gmail.com>に送ってください。

©日本ヴェーダーンタ協会2012

「霊性の質疑応答」

 下記のリストは「霊性の質疑応答通覧」で語られている質問です。その「カテゴリー」と「質問」は下記の対応する部分につながっています。その解答を見るには「カテゴリー」か「質問」の数字をクリックしてください。


 1. ヴェーダーンタとは何ですか
 2. ラーマクリシュナ僧団とは何ですか
 3. あなたのセンターはなぜヴェーダーンタ協会という名称なのですか
    4. 世界にはさまざまな特徴を持つ宗教団体があります。あなたの団体の特徴を教えてください


 5.シュリー・ラーマクリシュナ、シュリー・サーラダー・デーヴィー、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダはどのような人ですか


 6. サンスクリット語は神聖な言語だそうですが、それはどういう意味ですか
 7.ヒンドゥー教の霊性の修行において、「オーム」が最も神聖なものと見なされ、普遍的に使われているのはなぜですか
 8.ヨーガとは何ですか
 9.ヒンドゥー教徒はなぜ神像を礼拝するのですか。それは偶像崇拝ではないのですか
 10.ヒンドゥー教徒は一つの「神」を信じているのですか、それとも多くの「神」を信じているのですか
 11.ヒンドゥー教では天国と地獄を信じていますか
 12.ヒンドゥー教は‘原罪’という観念に同意しますか
 13.‘サマーディ’とは何ですか
 14.サマーディの効果は何ですか
 15.ヒンドゥー教の聖典でよく出てくるサットワ、ラジャス、タマスとは何ですか
 16.カルマとサムスカーラについて教えて下さい
 17.カルマの理論は運命論や宿命の観念と同じようなものですか
 18.インドの僧はなぜサフラン色の僧衣を着るのですか
 19.多くのインド人が菜食主義者なのはなぜですか
 20.なぜヒンドゥー教では差別的なカースト制度が認められているのですか


 21.宗教と霊性の違いを教えてください
 22.カルト(新興宗教)と主流宗教の違いは何ですか
 23.宗教は真理を教えるはずなのに、なぜ信条に多くの違いがあるのでしょうか。たとえばキリスト教では人には一回の生しかありませんが、ヒンドゥー教では多くの生があるなど・・・
 24.宗教は戦争という問題を解決するために何ができるでしょうか
 25.私は、宗教は人を弱くする、と思います。ご意見をお聞かせ下さい
 26.宗教という名の下に犯された数えきれないほどの暴力行為に対する責任はないのでしょうか
 27.宗教の調和とは何ですか。自分が真剣に信仰している宗教を実践すれば十分ではないのですか、それとも宗教の調和を信じなければなりませんか
 28.霊的なヒーリング(治療)と霊性の違いは何ですか
 29.私は「神」を信じ「彼」に祈っていますが、「神」のことがはっきりと分かっているわけではありません。時々それが私を不安にします。「神」についての混乱した考えが多すぎます。「神」の知識について教えて下さい
 30.「神」はどのようにして形を持ち、しかも無形であることができるのですか
 31.「神」あるいは「自己」のさとりの道は、ただ一つですか、それともさまざまな道がありますか
 32.見たこともなく、存在を確信してもいない「実在者(神)」をどのように愛することができるのでしょうか
 33.「神」あるいは「自己」の悟りにとって、最も必須のものは何ですか
 34.霊性の生活において、「神」の恩寵と自己努力は調和することができますか 
 35.a)「神」が存在するということをどうやって証明できるのですか
   b)「神」を信じなければなりませんか 

 36.「神」が‘アヴァターラ’として化身するというのはどういう意味ですか。人はどうやってそれを認識することができるのでしょうか
 37.人が「神」を見るとか「神」を感じるとしたら、それは幻想でしょうか
 38.どうすれば「神」をもっと愛することができるでしょうか。いつも「神」とつながっているためにはどうすればよいのでしょうか
 39.    ときどき自分は誰なのだろうと思うことがあります。私は内側に心と知性を持った肉体なのでしょうか。もしそうであるなら、この肉体が焼かれたり埋葬された りするとき、再生はどのようにして可能となるのでしょうか。すべての宗教が信じている天国や地獄に、私はどのようにして行くのでしょうか
 40.もし真の‘私’が「純粋意識」であるなら、なぜ私はそれを感じることができないのですか
 41.a)私たちはなぜ生まれるのですか。
         b)人生の目的は何ですか

 42.死とは何ですか。死後、何が起こるのですか
 43.もし「神」が在るなら、なぜこのような大災害や苦難があるのですか


 44.   (a) 霊性の修行とはどのようなことでしょうか
            (b) 何故、修行すべきなのですか

 45.「神」に祈るとき、世界中に起こる巨大な自然災害に際して、すべての人の幸福を祈るにはどうしたらよいのでしょうか
 46.瞑想の最善の方法(時刻、期間、呼吸、集中など)を教えてください
 47.瞑想のために、どのような基礎的な準備をすればいいですか
 48.啓発を得るために、どのような瞑想を実践すべきですか
 49.瞑想を毎日の習慣にするにはどうすればいいですか
 50.真夜中には瞑想しない方がいいと聞いたのですが、私は仕事の都合上ふさわしい時間に帰宅できません。電車で移動中に瞑想しても大丈夫ですか、それとも瞑想を抜かすべきでしょうか
 51.瞑想していると、たくさんの想いが割り込んできて集中できなくなります。この問題をどう処理すればよいのでしょうか
 52.瞑想によって得られた平安な気分を一日中保つには、どうすればいいですか
 53.私は「神」にすべてをお任せしていると思いながら毎日瞑想しています。しかし、ときどき落ちつかなくなり「これは本当に正しいことなのだろうか」と自問します。私はどうすべきなのでしょうか
 54.霊性の修行において、重要な霊的訓練と見なされている識別とはどのようなものですか
 55.識別の例を示してください
 56.なぜ識別が必要なのですか
 57.もし私が自分の家族や友だちに対して何の執着も感じなくなったら、私の心はドライになり、彼らに対する自分の義務を行なうモチベーションを失うのではないかと心配しています。つまり執着のない愛は本当に可能なのでしょうか
 58.放棄とは何ですか。家住者である私たちがそれを実践することができるのでしょうか
 59.‘エゴ’とは何ですか
 60. 瞑想やジャパなどのような霊的修行をするとき、私は自分を信者だと思っています。そして次の瞬間、たくさんの世俗の義務で忙しくなると、自分が世俗の人間 になったと感じます。この二つの感情は明らかに矛盾しており、私の中に対立や混乱や葛藤を生み出し、いつも私を苦しめます。それらを調和させる方法はあり ますか
 61.私たちが「神」に祈らないか、あるいは直接お願いしなければ「神」は私たちの願いを聞くことも知ることもないのでしょうか
 62.自分のグルはどうやって見つければいいのですか
 63.イニシエーション、マントラの意味を教えてください
 64.人が「神」を求める決心をしたら、その人は楽しみにしている趣味なども諦めるべきですか。そのような趣味をあきらめるのはとても難しい場合、それにかける時間を減らすだけでもかまわないでしょうか
 65.私の家族は私の信仰生活に反対しています。私はどうすべきでしょうか
 66.とても忙しいので講話などに参加できない人々がいます。そのような人が霊性の生活を送るのを助ける方法はありますか
 67.私はヴェーダーンタ協会で出されている信仰歌を毎日の祈りのときに歌うことができません。ほとんどの歌は意味がわからないのですが、それを歌うことは私たちの霊的修行にとって効果があるのでしょうか
 68.自分の部屋に祭壇をつくるとしたら、東西南北どちらの方角に向くのがよいのですか。その場合、写真は清めるべきですか。どのようにして清めればよいでしょうか


 69.肯定的な考え方と生き方について助言をお願いします
 70.有意義で歓びに満ちた人生を送るための生き方について助言を下さい
 71.日々の生活の中で平安に満ちた心を保つにはどうすればいいですか
 72.どうすれば心を集中させることができますか
 73.否定的で無気力な考えがしばしば心に浮かびます。どうすれば精神的に強くなれるのでしょうか
 74.霊性の講話を聞いたり、瞑想をしたりすると、その後働いている間も平安を感じ、他の人たちとも調和した結びつきを感じます。しかし時とともに私の心はしだいに不安になります。どうすれば常に平安な気分でいられるでしょうか
 75.過去のあやまちや悪行、また悲しい経験をどうしたら忘れることができるでしょうか
 76.私は将来のことがとても心配です。どうすれば現在に集中できるでしょうか
 77.つまらないことを後悔したり、罪悪感を持つことはどうすれば止められるでしょうか
 78.どうすれば無私になれますか
 79.‘良い欲望’と‘悪い欲望’はどのようにして区別できますか


 80.どうしたら人から真の愛を受けることができるでしょうか
 81.どうすれば他者とより良い人間関係を作ることができますか
 82.どうすれば人と平和に仲良く暮らすことができるでしょうか。特に私たち夫婦は価値観が違うので、それが私たちの関係を緊張させています。このようなとき、どうすればよいのでしょうか
 83.私には特別苦手な人がいて、その人に話しかけることもそばに行くことさえもできません。この問題をどう解決したらいいでしょうか
 84.頑固で気難しい人とはどのようにつき合えばいいですか
 85.私は職場の同僚とのコミュニケーションで悩んでいます。相手に親切にしようとしてもうまくいきません。どうしたらいいですか
 86.どうすれば他人に対していつも思いやりを持つことができますか
 87.他者を肯定的に見ることがときどき難しくなるのですが、常にそれを保つにはどうすればいいですか
 88.私は親しくしていた人に裏切られたことがあり、誰のことも信じられず、人生が無意味に感じられます。このような考え方は間違っていますか
 89.私は仕事上たくさんの‘ラジャス’的な気質の上司や先輩とつき合わなければなりません。助言をお願いします


 90.非常に怠惰な人間を活発にすることはできますか
 91.過食や眠気はどうすればコントロールできますか
 92.人生はなぜ差異にみちているのでしょうか;貧富、健康状態・・など
 93. 私はお金のために働くことはとても低い動機だと思うのでボランティアの仕事をしています。しかし同時に、もし私がお金のために働かなかったら経済的な問題 に直面するかもしれないし、また日本の社会は、後に私が労働力として復帰することを認めてくれないのではないかと心配しています。助言をお願いします
 94. 私は規則的な瞑想の実践、ヨーガの練習、神聖な本の研究などが自分の心身によいということを知っていますが、それらに熱中することができず、2〜3日で諦 めることもあります。その結果、強く望んでいるにもかかわらず、自分の人生に何ら肯定的な変化をもたらすことができません。そのことに失望して悲しくなり ます。この問題に解決法はあるでしょうか
 95.何か鼓舞させるようなメッセージをいただけますか


スワーミー・メダサーナンダの解答

I. ヴェーダーンタ


(1)ヴェーダーンタとは何ですか

 ヴェーダーンタは文字通りヴェーダの目標‘anta’を意味します。ヴェーダはヒンドゥーの最も古い主要な聖典であり、インドの古代の聖者たちに啓示さ れた永遠の真理を含みます。ヴェーダーンタはヴェーダの知識の部分であるウパニシャッドに基づく宗教哲学です。ウパニシャッドは人間の真の性質は神性であ り、人生の目的はこの神性を明らかにすることであり、その真理は普遍的である、と説いています。

 ヴェーダーンタの特徴は‘人間の知覚を超えた非顕現の相’と‘宇宙に遍在する顕現の相’の両面を持つ一つの「神」を信じることです。「神」のヴィジョ ン、つまり私たちの内にある神性は、私たちの内面外面の性質を制御することによって、また知識の道(ギャーナ・ヨーガ)、無私の働きの道(カルマ・ヨー ガ)、信仰の道(バクティ・ヨーガ)そして精神の制御と瞑想の道(ラージャ・ヨーガ)を通して得ることができます。

 ヴェーダーンタは、世界中のすべての宗教を真理として受け入れ、その偉大な預言者や指導者を崇敬します。なぜなら、それはすべての中に同じ「神」のイン スピレーションがあることを認め、またすべての信仰は同じ「神」へとつながるさまざまな道を示していることを信じているからです。

参考文献:
Vrajaprana, Pravrajika.,Vedanta-A Simple Introduction



(2)ラーマクリシュナ僧団とは何ですか

 近代インドの預言者、シュリー・ラーマクリシュナにちなんで命名されたラーマクリシュナ僧団は、同一の修道会のメンバーによって管理されるラーマクリ シュナ僧院と、ラーマクリシュナ・ミッションによって構成されています。1886年、シュリー・ラーマクリシュナによって発足されたラーマクリシュナ僧院 は男性の修道院です。ラーマクリシュナ・ミッションは、シュリー・ラーマクリシュナの主要な弟子スワーミー・ヴィヴェーカーナンダによって1897年に設 立され、出家僧と在家信者両方で構成されています。ラーマクリシュナ僧団はインドのコルカタの近く、ベルル僧院に本部を置き、世界中に180の支部を持っ ています。僧団は「自己の悟り」と「奉仕」という二つの理想のもとで、霊的な奉仕と医療・教育・文化・田舎の貧しい人々への援助などのような慈善的奉仕に 貢献しています。

参考文献:
Gambhirananda, Swami. History of Ramakrishna Math & Ramakrishna Mission


(3)貴センターは、なぜヴェーダーンタ協会という名前なのですか

 私たちの母体となる組織は、インドではラーマクリシュナ僧院とラーマクリシュナ・ミッションとして親しまれていますが、海外の多くの国々ではヴェーダー ンタ・ソサエティとして知られています。それは、シュリー・ラーマクリシュナとスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの人生と教えに集約され体現されている ヴェーダーンタの伝統的な哲学に基礎を置いています。海外の国々の人は、少なくとも最初のうちは、シュリー・ラーマクリシュナの人格よりもヴェーダーンタ の哲学の方がなじみやすいであろうということで、私たちの僧団の海外支部はほとんどヴェーダーンタ・ソサエティという名前で紹介されています。
 日本ヴェーダーンタ協会の歴史についての詳しい情報は私たちのウェブサイトで見ることができます。

<http://www.vedantajp.com/協会の歴史/>


(4)世界にはさまざまな特徴を持つ宗教団体がたくさんあります。あなたの団体の特徴を教えてください。

 a.当僧団は、近代インドの神人シュリー・ラーマクリシュナと彼の配偶者であるホーリーマザー、シュリー・サーラダー・デヴィの希望と祝福によって設立 されており、彼らによって支えられています。それはまた、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダを含むシュリー・ラーマクリシュナの16人の出家の弟子たち全 員によって積み上げられた霊性の力によって成長しています。これらの弟子たちは皆な最高度の聖者でした。彼らの生涯が記録された伝記を研究するとそのこと がよく分かるでしょう。
 b.私たちの僧団は人間の真の「自己」の悟りと、人類への無私で敬虔な奉仕に重点を置いています。
 c.私たちは‘宗教の調和’を信じて実践しており、他の宗教の預言者たちのうちの数名の生誕祭も行なっています。お釈迦さまやイエス・キリストの誕生日を祝うだけでなく、彼らの教えも学んでいます。
 d.私たちは「自己の悟り」という目標を、さまざまな霊性の道の実践によってめざしています;すなわち知識の道(ギャーナ・ヨーガ)、信仰の道(バクティ・ヨーガ)、無私の奉仕の道(カルマ・ヨーガ)、瞑想と心の制御の道(ラージャ・ヨーガ)の統合です。
 e.私たちの協会では、霊的な思索と修行において、論理的思考と信仰の両方を合わせもっています。
 f.私たちは儀式主義にあまり重点を置かず、もっと深い人生を生きることの問題と、その解決にさらに強く焦点を当てています。
 g.私たちは改宗をすすめるのではなく、人々が自分自身の伝統的な信仰を信奉し、その宗教の聖典や預言者から自由にインスピレーションを得て、その信仰を熱心に実践することを勧めます。私たちは信仰のいかんにかかわらず人々を歓迎します。
 h.当僧団は、インドの聖典・霊性の生活・瞑想・インドの伝統文化など、さまざまな面に及ぶ膨大な量の文献を世界の約20カ国の言語で出版しています。
 i.当僧団は、広範囲な慈善事業を、特にインドにおいて、敬虔な態度で行なっていますが、他の国々では、日々の霊性の修行の実践に加えて慈善事業を始めているセンターもあります。
 j.当僧団は民主的な路線に沿って運営されています。
 k.当僧団はまた、すべての事柄において、特に財務において透明性を保っています。


II. ラーマクリシュナ/サーラダー・デーヴィ/ヴィヴェーカーナンダ


(5)シュリー・ラーマクリシュナ、サーラダー・デーヴィ、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダはどのような人ですか。

 シュリー・ラーマクリシュナ(1836〜1886)は、近代インドに生まれ、さまざまな伝統的霊性の道を実践して、すべての宗教の道は同一の「神」の悟りにつながるという結論に達しました。

 シュリー・ラーマクリシュナは、キリスト教徒がキリストを見るように、仏教徒がブッダを見るように、世界の何百万人もの人々から同じように崇敬されてい ます。彼は常に「神」と交流していました。そのことは、信頼できる伝記作家たちによって記録されています。彼はすぐれた霊性の師であると同時に、普遍主義 と宗教の調和の指導者でもありました。

    シュリー・サーラダー・デーヴィ(1853〜1920)は信者たちから「ホーリー・マザー」として知られていますが、シュリー・ラーマクリシュナの配偶者 であり、彼との間に霊的な関係を保持していました。彼女自身の生来の資質において、彼女はインドの最も偉大な女性聖者のうちの一人と見なされています。

 彼女は清らかさと普遍的な母性の体現者であり、いかにして家住者が世俗の生活と霊性の生活を統合させるか、また平安と成就を得るかを、彼女自身の生活を通して明らかにしました。

 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(1863〜1902)は最高位の悟った魂であり、シュリー・ラーマクリシュナの出家の弟子たちのリーダーでした。彼 は師(シュリー・ラーマクリシュナ)のメッセージを世界中の人々に説きました。独創的な思想家であり、優秀な演説者そして博愛主義者でもありました。また 頭脳とハート両面に優れた資質を多く持っていました。「自己」の悟りと、人の中に「神」を見るという態度での人類への奉仕という二つの目的を持ってラーマ クリシュナ僧団を創設した人です。

 彼らの出現から今日まで、マハートマ・ガンディ、ラビンドラナート・タゴール、シュリー・オーロビンドなどをふくむ多くの国家的リーダーや霊性の指導 者、そしてインドの多くの一般人が、シュリー・ラーマクリシュナまたはスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ、あるいは両者から直接間接の影響を受けてきまし た。海外でも、彼らはロマン・ローラン、マクス・ミュラー、トルストイなどのような著名な人格を鼓舞したのです。

参考文献:
1. ラーマクリシュナの生涯(日本ヴェーダーンタ協会)
2. ラーマクリシュナの福音(同上)
3. ホーリー・マザーの生涯 (同上)
4. スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯(同上)
http://www.vedantajp.com/聖なる三位/


III. ヒンドゥイズム


(6)サンスクリット語は神聖な言葉だそうですが、それはどういう意味ですか

 ヒンドゥー教の聖典は主にサンスクリット語で書かれています。これは高度に発音の明確な言語で、ヒンドゥーの儀式はサンスクリット語で指示されていま す。賛歌や聖典の節などは、はっきりと正しく発音されれば、その意味が正確には理解されなくても、聞き手の気持ちを安らかにし、神聖にする効力がありま す。このような理由から、ヒンドゥー教ではサンスクリット語を神聖な言葉であると見なしているのです。

(7) ヒンドゥー教の霊性の修行において「オーム」が最も神聖なものと見なされ、普遍的に使われるのはなぜですか

 「オーム」は‘a’‘u’‘m’の三文字の音から成り、宇宙の音の象徴とされ、また宇宙の創造主である「ブラッマン」「至高の真理」「神」と見なされて います。それは、ヒンドゥー教の古代の聖典であるヴェーダのしるしでもあります。「オーム」の助けによって「主」は「宇宙」を創造しました。

 喉の部分から始まり、口びるから発せられるすべての音を包含している「オーム」から、すべての音、そして実際すべての人類の言語とその聖典は始まっています。

 故に、「オーム」は最も神聖で最も重要な音と見なされ、ヒンドゥー教の聖典ではマントラや賛歌の朗唱、儀式の実施の際にふんだんに発せられます。

 私たちは「オーム」だけを唱え、瞑想することによって、自己を清めることができるだけでなく、心の平安と歓びと強さを得ることができ、さらに霊的啓発を 得ることもできるのです。このように、個人でもグループでも、「オーム」を唱えることは心の平安と霊的啓発の獲得にとって非常に有益だと見なされていま す。

参考文献:
Nivedanananda, Swami. Hinduism at a Glance
Bhaskarananda, Swami. TheEssentials of Hinduism

(8)ヨーガとは何ですか

 ヨーガは合一を意味します。ヒンドゥー教の聖典では、この言葉がよく出てきますが、それは個々の魂と超越した「魂」の合一、信者と「神」の合一、ジ ヴァートマン(肉体の魂)と「ブラッマン」(至高の実在)の合一です。それは合一に到る道とこの合一のゴール両方をさしています。

 しかし今日、世界中で非常に広範囲に行なわれているヨーガは、実は肉体の健康に焦点を当てたヨーガの一形態であるハタヨガのことです。もし、長時間一定 の姿勢で動かずに座ることができるようになるための訓練としてハタヨガをおこなうのであれば、それはラージャ・ヨーガの道にとって有益でしょう。ただ健康 のためだけに行なうのであれば、その点では有益ですが、霊性の面では大した役には立たないでしょう。

 ヨーガには四つの道があります:

 1.ギャーナ・ヨーガ:知識の道。永遠なるものに焦点を当て、かりそめのものと永遠なるものを識別することを強調する。
 2.バクティ・ヨーガ:信仰の道。求道者の愛を「神」に向けることと、「神」との絶え間ない交流の実践を教える神聖な愛の道。
 3.ラージャ・ヨーガ:感覚と心を制御する道、瞑想の道。
 4.カルマ・ヨーガ:無私の働きの道。働きの結果を「神」に捧げる。

(9)ヒンドゥー教徒は、なぜ像を拝むのですか。それは偶像崇拝ではないのですか

 仏教徒が仏像を、キリスト教徒がキリストや聖母マリアの像を安置するとき、それらの像は石や金属や木で作られており、それぞれの寺院や教会に安置されて いて、信者はそれに祈りを捧げ、食物を供えます。私たちは彼らを偶像崇拝者と呼ぶでしょうか?そんなことはありません。彼らはその像の中にブッダやキリス トや聖母マリアの神聖なる生きた存在を想って供え物をし、祈りを捧げるのです。同様にヒンドゥー教徒は寺院や各自の家で、彼らの神々を礼拝しています。

 さらに、初めのうち像を通して「神」に礼拝することは、特に「神」の無形の側面(それは確かにもっと高い「神」の観念です)に焦点を当てて集中することができない人々にとって助けとなります。

(10)ヒンドゥー教徒は一つの「神」を信じているのですか、それとも多くの「神」を信じているのですか

 ヒンドゥー教徒はさまざまな形の「神」、「女神」として顕現する一つの「至高の実在」を信じています。

(11)ヒンドゥー教は天国と地獄を信じますか

 ヒンドゥー教は天国と地獄を信じますが、それは永遠に続く天国地獄ではありません。ヒンドゥー教では、人間は死後、ある期間天国か地獄に行くが、それは 彼らの良いあるいは悪いカルマによって決められると言われています。その期間が終わると、また地上に生まれてカルマを作り続けます。この循環は誕生と死、 天国と地獄の両方から解放されて「神」を悟るまで続きます。そのとき人は「神」と一体になり、さらなるカルマを作ったり経験したりするためにこの世に戻っ て来ることがなくなります。それが人生の目的であり、すべての霊性の修行のゴールです。

(12)ヒンドゥー教は‘原罪’という観念に同意しますか

 ヒンドゥー教では、人間は本質的に罪人ではなく、純粋なものであると信じられています。しかしこの純粋性は、いわば心の悪い傾向や性癖におおわれている ので、それを道徳や霊性の指示によって取り除かなくてはなりません。その結果、心がそのような不純物から解放されると、人間本来の純粋な性質が輝き出るの です。

(13)‘サマーディ’とは何ですか

 サマーディは、長く困難な霊性の修行の後で「神」の恩寵によって経験されるもので、心が「自己」「神」「至高の実在」(これらは基本的に同一のもの)に完全に没入した状態です。サマーディにおいて、「自己」「神」「至高の実在」の真の性質が求道者の前に現わされます。

(14)サマーディの効果は何ですか
   
 サマーディを経験すると、求道者はすべての束縛をバラバラに断ち切り、そしてまた無知、不純性、執着、恐怖、苦悩から解放されます。最終的に彼は歓びと 平安と愛に満たされて智慧を確立します。このようにして彼の人生は成就するのです。カルマは彼を束縛することはできず、再生がなくなるように欲望の種は焼 き尽くされます。彼は自由な魂となるのです。

(15)ヒンドゥー教の聖典によく出てくる、サットワ、ラジャス、タマスとは何ですか

 これらはサンスクリット語で、三つのグナのことです。グナは性質と精妙な物質の両方であり、原初のエネルギーであるプラクリティを構成します。宇宙の生命あるもの、ないものは、その割合は変化しますが、すべてこの三つのグナからできています。

 1.サットワグナは平静(バランス)あるいは智慧を表わし、個人の性質の中でサットワが優勢な場合は、清らかさや落ち着き、そして明確な洞察力が生まれます。
 2.ラジャスは活発さを意味し、これが優勢な場合、その人の性格は情熱的、野心的で、落ち着きがありません。
 3.タマスは不活発と無知を意味し、これが優勢な人は無気力で鈍く、妄想を抱く傾向があります。

 これら三つのグナは「自己」を束縛するものですが、これを超えることによって人は自由になり、智慧と無上の幸福に落ちつくのです。

参考文献:
シュリーマッド・バガヴァッド・ギーター14章17、18節

(16)‘カルマ’‘サムスカーラ’について教えてください

 カルマとサムスカーラはヒンドゥー教の最も重要な二つの概念で、今も広く知られており、それについてしばしば言及されます。

 最も広い意味でのカルマは、私たちが手足を使って行う行為だけでなく、感覚器官や知性を使って行なう行為も含みます。私たちのすべての動き、呼吸やまば たきも、カルマです。厳密な意味でのカルマは、現世だけでなく前世も含めて、繰り返し、あるいは一回でも、行なったり思ったりする行為のことです。喜びを 楽しんだり、苦難を受けるという形で現れるそれらの結果は、一度の人生に限定されず、何世にもわたる場合があります。その過程は、熱心で継続的な霊性の修 行の実践と、「主」の恩寵によって、私たちがカルマの根である欲望を制御し超越することによって解脱を得るまで続きます。

 カルマの理論に関連するサムスカーラは、精妙な心理的印象です。それは現在を含め、私たちの何世にも渡る人生における、良いあるいは悪い思いや行ないからもたらされる、良いあるいは悪い印象です。私たちがつちかってきたそのような傾向がサムスカーラです。

(17)カルマの理論は運命論や宿命の観念と同じようなものですか

 違います。運命論や宿命論は、ものごとがなぜ起こらなければならないか、そしてそれは避けることができるかできないかを説明していません。カルマの理論は、個人の人生に起こる事を、前世あるいは現世で積まれたカルマに言及することで説明します。

 さらに、カルマの理論によれば、もし人が悪いカルマのために苦しむか苦しむ運命にあるとき、良いカルマを積むことによって、その苦難を実質的に減少させ ることができます。つまりカルマの結果の与え手である「神」に避難所を求め、霊性の修行を通して自己を清めることによって、良いカルマが生まれるのです。

(18)インドの僧は、なぜサフラン色の僧衣を着るのですか

 ヒンドゥー教の僧は、家庭を放棄し、「神」を悟ることと無私の精神で人々に奉仕することに自分の一生を捧げ、完全な離欲の生活をしています。彼らの衣の 色はサフラン色あるいはオークル色、またサンスクリットでは‘gairk’と呼ばれています。火はすべてのものを焼きつくし灰にします。つまりこの色は火 の色なので、僧達はこの衣を着ることによって、この世のものはすべて永遠ではないということを思い、この世のものを追い求めず、「永遠なるもの」つまり 「神」を求めることを思い出すのです。

(19)多くのインド人が菜食主義者なのはなぜですか。肉を食べることは罪なのですか

 インドでは、食事を含めいかなる目的のためであっても、命を奪うことは罪であるという強い意見があります。また確かに殺すことは非難すべきことであるけ れど、このルールにはある例外があると考える人々もいます。その例外は、ヒンドゥー教の聖典によって命じられていて、たとえば、食物のため、自己防衛のた め、女性の名誉を守るため、侵略者から自国を守るためという目的で殺すことです。

 ヴェーダの文献を見ても、ヴェーダの時代にはインド人が肉を食べることは珍しいことではなかったのですが、後年、仏教の影響で、またもっと後には食習慣 における非殺生を説いたヴィシュヌ派の影響で、多くの人々がベジタリアンになりました。今日、菜食主義は宗教的な熟考からというより、家族や地域の伝統と して、また健康上の理由からより多く実践されています。このため、ベンガル、オリッサ、アッサムの人々のほとんどがノンベジタリアンである一方、他の州の 人々の多くはベジタリアンです。

(20)ヒンドゥー教ではなぜ差別的なカースト制度が認められているのですか

 古代インドで最初に計画され実行されたカースト制度は実用的で順応性のあるものでした。しかし聖職者階級が特別な権限を要求し、厳格になったときから徐 々に悪化しました。しかし深く立証すれば、このような制度はインドの社会だけでなく、何らかの形でほとんどの古代社会に存在したことがわかります。

 この差別制度は緩やかに弱まり、現代のインドでは、カースト間での会食や結婚は特に都市部ではどんどん一般的になってきています。また最下層の階級に属 する多くの人々が、よい教育を受けてよい仕事を得るようになり、社会的国家的功績をあげています。いくつかの顕著な例としては、DoctorB.R. Ambedkar(インド憲法の父)、K.R.Narayanan(インド首相)、Ms.Kumari Mayawati(前ウッタルプラデシュ州知事)、その他多くの前、現中央、州の閣僚や企業経営者、専門家などがあげられるでしょう。

IV. 神と霊性


(21)宗教と霊性の違いを教えてください

 インドの伝統によると、宗教は儀式主義、習慣、宗教学、神話、哲学を含み、実際には「神」に関することすべてを包含します。人生の哲学、変革そして永遠の平安、喜び、英知、解放を得るための方法が霊的に強調されています。

 霊性は自分自身の「自己」の悟りに焦点を当てています。「自己」とは個々のレベルでの純粋意識、存在、知識そして絶対の至福のことです。これは宇宙的なレベルの「神」あるいは「至高の実在」「智識」「絶対の至福」と同じものです。

(22)カルトと主流宗教の違いは何ですか

 主流の宗教はすべて「神」の悟り、「自己」の悟り、純粋性、博愛、信頼、無私の奉仕、目的の透明性を強調しています。一方カルトは隠し事が多く、狭量で、また暴力を支持することさえあり、伝統を守る人々を憎悪して社会と摩擦を起こします。

(23)宗教は真理を教えるはずなのに、なぜ信条に多くの違いがあるのでしょうか。たとえばキリスト教では人には一回の生しかありませんが、ヒンドゥー教では多くの生がある・・など

 宗教はさまざまな状況の下で、さまざまな時代に、さまざまな地域で発生し成長してきました。そのため、宗教間の違いは多様です。それにもかかわらず、す べての宗教とそれぞれの宗教のメッセージには完全な統一性が見られます。たとえば、ほとんどの宗教は道徳性、純粋性、信頼、慈悲、無私の奉仕、永遠なるも のを探求し、永遠でないものを放棄すること、祈りと熟考、そして最終的には「神」の愛などの見解を共有しています。

(24)宗教は戦争という問題を解決するために何かできるのでしょうか

 国民の間の、世界の人々の間の、またさまざまな宗教の信者の間の相互の愛と尊敬の状態を作り出すことによって、またすべての者の中にある同一の「神」の 存在を強調し、それぞれの身分や信条や国に関係なく同じ「自己」を通して互いの結びつきを強めることによって、またすべての人の中に「神」の現存を見て普 遍的な愛と無私の奉仕をささげるというアイディアを強調し実践することによって、疑いなく宗教は戦争という問題を解決することができます。

(25)私は、宗教は人を弱くすると思います。ご意見をお聞かせください

 間違って教えられ、理解され、実践される宗教は人を弱く、怠惰で、ときには犯罪者にさえしますが、正しく理解され実践される宗教は確実に人を純粋にし、 強く、積極的に、そして賢くします。宗教は、ブッダやキリストやシュリー・ラーマクリシュナやスワーミー・ヴィヴェーカーナンダや彼らの弟子たちを、弱く したでしょうか?宗教はガンジーを弱くしたでしょうか、それともその反対だったでしょうか?バガヴァッド・ギーターの指導者たちは人々を弱く怠け者にした でしょうか、それともその正反対でしょうか?

(26)宗教という名の下に犯された数えきれないほどの暴力行為に対する責任はないのでしょうか

 宗教の名の下に多くの人を殺すという暴力行為がしばしば為されていることは事実です。しかし、それは宗教の責任でしょうか?あなたは武器を開発した科学 も非難しますか?たとえば空気を汚染し、何万人もの人々を殺傷するような核兵器や、生物を壊滅させるようなウラニウム(DU)武器を含む無人スマート爆 弾、わずか数分で文明社会を消し去ることのできるような核兵器など、世界の大国によって膨大な量が保有されているのです。科学はこれに対して本当に責任が あるのでしょうか?そのような極悪で恐ろしい目的のために科学や科学者を利用する人々に、責任があるとは思いませんか?

 それならなぜ宗教が、宗教の名の下に犯されるそれらの暴力行為に対して責任をとるべきなのでしょう?責任があるのは、宗教を誤解している人々や、世俗の極悪な目的のために宗教を利用している政治家たちなのです。

 また、いかに多くの宗教が何世代にもわたって世界の何百万もの人々の魂を 育て、今も育てているか、そして人々に平安と慰めと喜びと心の強さを与えてきたかについても、深く考えてみるべきでしょう。

(27)宗教の調和とは何ですか。自分が真剣に信仰している宗教を実践すれば十分ではないでしょうか。それとも‘宗教の調和’を信じなければなりませんか

 宗教の調和は、それぞれの宗教が同じ「神」につながる一つの道であるという考えを受け入れることです。さらに人は自分が選んだ宗教を堅く守り真剣に修行 する一方、他者の信仰や聖典、指導者や信者を尊敬すべきです。修行を実践している信仰者は、他の宗教の聖典や聖者の人生と教えからインスピレーションを受 け、また礼拝の場所を訪れてそこから霊的な恩恵を得ることもあるでしょう。

 しかしあなたが他の宗教やその聖典や指導者を誤ったものと批判しないなら、一つの信仰を選んでそれを専ら実践することは何も悪いことではありません。そ のような批判はまったく正当化されない、根拠のないものです。なぜなら、歴史的に見ても、すべての宗教は優秀な信者や聖者を排出してきたからです。つま り、他の宗教を非難することは、その人の狭量さと無知を露呈しているにすぎないのです。それはまた、さまざまな宗教の信者と指導者の間に憎しみや葛藤や暴 力を生み出し、社会を堕落させ、暴力を引き起こすことになります。過去にも他者の礼拝の場所を破壊し、その勝者がそこへ自分達の礼拝所を建てるということ はよくありました。そのような例は、いくらか限られた規模ではありますが、今も起こっているのです。

 普遍的な愛と調和を実践して社会に説いていくべき宗教が、誤解とそれを固守する人々による狭量な信仰と誤った使い方のために、その役割を果たすことに失敗しているのです。

(28)霊的なヒーリング(治療)と霊性の違いは何ですか

 霊的ヒーリングは心身の病気に向けられるものであり、オカルトパワーを持つ治療者をお金で雇って病気の治癒を求めるものです。一方霊性は(21)で述べたように、それとは全く異なるものです。

(29)私は「神」を信じ、祈っていますが、「神」のことがはっきりと分かっているわけではありません。ときどきそれが私を不安にします。「神」についての混乱した考えが多すぎます。真の「神」の知識について、教え導いてくださいませんか

 あなたはこの困難な状況の中でひとりぼっちではありません。自分が信じることのできる「神」を知らない人がたくさんいます。また無神論者の場合は彼らが信じない「神」も知らないのです。

 結果的にそのような信仰あるいは無信仰は表面的な浅はかさ、矛盾、傷つきやすさをもたらします。だから、ここで話しているような「神」についての明確な 考えを持つことが必要なのです。「神」あるいは「至高の実在」(ブラッマン)と呼ばれる同一の実在には次の四つの面があります:

 1.「神」は形や質を持たない純粋な意識である。それは命あるものもないものもすべて、全宇宙に遍満し、それらを通してさまざまな段階で顕現するものである。
 2.「神」は形を持たないが、宇宙の創造・維持・破壊の力のような質と力を持つ。「彼」は全能、遍在、全智である。「彼」は慈悲を示すけれども公正な配 分者であり、カルマの結果の与え主である。「神」のこの観念はセム教(ユダヤ教)とキリスト教とイスラム教の観念と共通する。
 3.「神」は多様な質と力を持って、さまざまな神性の姿をとる。たとえばヒンドゥー教のシヴァ神、ガネーシャ神、ドゥルガー女神、ラクシュミ女神など。この「神」の概念は日本の神道のそれと似ている。
 4.「神」は平安、至福、智慧、解脱の道で人類を導くために人間の姿をとる。クリシュナ、ブッダ、キリストなどのように「神」が人間の姿をとることは‘アヴァターラ’(「神」の化身あるいは息子)として知られている。

 ヒンドゥー教徒は、「神」のこれら四つの面をすべて信じます。

(30)「神」はどのようにして形を持ち、しかも無形であることができるのですか

 これは多くの真摯な求道者を当惑させる問題です。「神」が形を持ち、しかも無形であるという考えは非常に理解しがたく、不合理にすら思えるでしょう。 シュリー・ラーマクリシュナは、これについてしばしば質問していた信者たちに、水と氷の例やカメレオンの例を引いて、シンプルだが説得力のある方法でこの ポイントをみごとに説明しました:水蒸気、水、氷の状態は異なり、目に見える状態、透明度、温度などの特徴も異なりますが、それらの基本的な分子構造はH2Oのままです。またカメレオンはときどき緑、青、赤等の色になり、ときには特定の色を持ちませんが、それは結局同じカメレオンです。

(31)「神」あるいは「自己」の悟りの道は、ただ一つですか、それともさまざまな道がありますか

 悟りへの道はさまざまです。たとえば、知識の道、信仰の道、瞑想の道、働きの道、それらの組み合わされた道などです。詳細は(8)を参照して下さい。

 仏教は知識の道と瞑想の道に重点を置き、キリスト教は信仰と無私の奉仕の道を、イスラム教は信仰の道を強調します。ヒンドゥー教は、これらすべての道を受け入れますが、それを受ける求道者の適性と能力に応じて特定の道を推奨します。

(32)自分が見たこともないし、その存在を確信してもいない実在(「神」)を、どのように愛することができるのでしょうか

 これは適切でよく出される質問です。「神」に信仰を持ち、「彼」を愛するために下記の方法を試してみてください。

 1.次の論点を理解することによって:
     a.すべての創造物には創造者がある。この宇宙にも創造者が居て、それを信仰者は「神」と呼ぶ。宇宙はそれ自身を創ることはできないのだから。
     b.知覚のない物質を生じさせ動かし続けるために、またそれを導くためにも、意識のある知的実体が必要だ。自然も知覚のないものだが、それぞれの働きをす るためにはそのような存在が必要であり、この意識ある知的な実体が「神」と呼ばれる。
 2.「神」を悟り、「神」について力強く語る聖者や聖典の言葉に信仰を持つことによって
 3.‘神よ、もし本当に存在されるのなら、どうぞ私にあなたご自身をお見せください’という趣旨のことを継続的にそして真剣に祈ることによって
 4.ヒンドゥー教徒がするように、神像の中に「神」を瞑想して、礼拝することによって
 5.一般的で実行しやすいもう一つの方法は、クリシュナ、ブッダ、キリスト、モハメッド、ラーマクリシュナといった「神」そのものである「神」の化身や「神」の息子を愛することによって

(33)「神」あるいは「自己」の悟りにとって、もっとも必須のものは何ですか

 主として四つのものがあります:

 1.心と体の浄化
 2.エゴ、怒りや貪欲の自制
 3.あらゆるものへの愛
 4.霊的な主題(「自己、神、神の化身」)への集中

(34)霊性の生活において「神」の恩寵と自己努力は調和することができますか

 「神」の恩寵は一般的に「神」が人類に示す親切あるいは好意です。例えば「彼」は私たちが生きて行けるように太陽の光や水や空気などを供給してくれま す。「神」は特定の個人や団体に「彼」のヴィジョンを叶えるなどの特別な親切心を示すこともあります。そのような特別な好意は無条件なものであり、「神」 の優しい思し召しによるものです。
 ある解釈によると、そのような恩寵はどんな努力によっても得られるものではないので、霊性の生活での自己努力は二義的なものとなり、人は恩寵を求めて忍 耐強く待つべきだと言われています。また他の解釈では、努力なしに恩寵を得ることはできないので自己努力も大変必要だと言われています。
 何の努力もせずに特別な恩寵を得ることは、確かにまれでしょう。さらに、ほとんどの聖典や聖者、預言者は自己努力が必要だと助言しています。つまり、まず霊性の修行を真剣に行ない、それから霊性のゴールに到達するという「神」の恩寵を待つということです。
  
(35)a)「神」が存在するということを, どうやって証明できるのですか

 a)推論だけでは「神」の存在は証明できません。次に述べられているような的確で信頼のおける方法で「神」は悟ることができます:

 心と感覚の制御、誠実と無私の愛の実践、永遠なものとそうでないものとの識別、永遠なる実在つまり「神」(「自己」)への集中。完全な真剣さと帰依と忍耐をもってこれらの方法に従ってきた人々は、時を超えた霊的悟りを通して「神」の存在を確信したのです。

 そのような悟った魂あるいは聖者として知られる人々は直接の権威と確信をもって「神」の存在を語っています。時空を超えた世界中の何百万という人々が、 純粋さ、誠実さ、無私の愛、「神」の存在についての智慧の体現者であるこのような聖者の証言を信じてきました。多くの人々が彼らの指示に従い、「神」を求 め、人生の平安を見つけたのです。

 b)「神」の存在を信じなければなりませんか

 b)「神」を信じるか信じないかは個人の選択ですが、その選択をする前に、いくつか客観的な事実について考えるべきでしょう:
 1.「神」を信じないことは、それについて正しく真剣に調べることよりはるかに容易です。今その探求者は、信じるか信じないかというような重要な問題の 結論を出すために必要な努力を真剣に行おうという意志を持っているでしょうか?ほとんどの‘信じない人々’はここで失敗します。
 2.人生の苦難を数回経験した後、多くの人がお金や世俗のことよりも、継続される心の平安の方が大事だと思うようになることがしばしば見られます。この 平安はお金で買えるものではないし、譲渡できる物でもありません。私たちは別の方法でそれを求めなければなりません。この方法はつかの間で移ろいやすく有 限な世俗の物から、一般的に「神」という名で知られている、永遠で不滅の存在へと私たちの焦点を変換することを必要とするのです。
 3.「神」が存在するかしないかに関係なく、世界中の世代を超えた何百万という人々が困難と苦しみの時代に、「神」の中に唯一の信頼できる避難所を見出したということは厳然たる事実です。
 4.自分のことを現代的な合理主義者で科学的であると思い、故に私は「神」を信じない者であると公言する人々がいます。しかし、彼らは幽霊や先祖の霊や 占いやヒーリングやパワースポット訪問などのような多様な超自然的なことは信じます。彼らは「神」より むしろ幽霊や霊や星の影響の方を信じるのです。そ のような人々の人生は対立と矛盾に陥るでしょう。さらに、人を引き上げてくれる「神」を信じ「神」に頼ることは、長い目で見れば、オカルト者や占星術師を 信じ、頼って堕落することより、はるかに勝っているのではないでしょうか?

(36)「神」が‘アヴァターラ’として化身するというのはどういう意味ですか。人はどうやって‘アヴァターラ’を認識することができるのですか

 普通の人間の生死は「カルマ」の法則に縛られていますが、「神」は「彼」の自由意志で「アヴァターラ」として「自身」を化身します。
  
 「神」つまり自分の「自己」を悟ることによって、いかにして苦しみを克服し、永遠の平安、歓び、叡智を得るかを人類に教えるために、さまざまな時代に、 現れるのです。アヴァターラの概念は基本的にはヒンドゥー教に起源を持つものですが、「神の息子」というキリスト教の概念によく似ています。

 下記の項目は注意深く観察することによって、アヴァターラが認識されるいくつかの特徴です:

 1.アヴァターラは芯まで清らかで霊的である。
 2.「彼」はすべての束縛と執着から完全に解放されて、智慧の中に定着している。
 3.「彼」は普遍的な愛と慈悲の権化である。
 4.アヴァターラは他者の罪を赦し、彼らを清めることができる。これはキリスト教における身代わりの贖罪(身代わりとしてのキリストの受難)として知られる。
 5.アヴァターラは、もし「彼」が望めば「彼」の信者に解脱を叶えてやったり、最高の霊的悟りを与えたりする力を持つ。
 6.アヴァターラの霊的影響力は「彼」が生まれた国や時代に限定されることはない。
 7.アヴァターラの影響は宗教的な分野だけでなく、社会、文学、音楽、芸術、建築などにも及ぶ。

(37)人が「神」を見たり感じたりするのは、幻想でしょうか

 それを経験した人にそのヴィジョンが、解放された喜びや言葉では言い表わせない平安を与え、またその人の性格の変化を容易にするものであればそれは本物 です。その事実は、本物のヴィジョンを経験したことのある人々の人生によって正しいものであると証明されます。一方、もし「神」のヴィジョンがこれらの効 果を伴わないなら、そのようなヴィジョンの純粋性は疑わしく、幻想か単なる空想だと考えるべきです。

(38)どうすれば「神」をもっと愛することができるでしょうか。いつも「神」とつながっているには、どうすればよいのですか

 霊的修行を真剣に実践することによって、つまりハートと心を清め、私たちが人間関係を確立する場合に行なうように「神」との関係を確立することによっ て、それは可能となります。そのような関係を作ることはヒンドゥー教徒とキリスト教徒の宗教的な伝統の中で行なわれます。このようにして 私たちは「神」 を自分の師、父、母、友、あるいは子供とさえ見て、「彼」に私たちの内奥の愛を向けることができます。「神」は、私たちが「彼」に対して畏怖の念を持って いるときは遠い存在ですが、私たちが「彼」を愛すると、「彼」は近くに来てくれます。

 日々の規則的な内省と瞑想を通して、また「神」の神聖な御名あるいはマントラを繰り返すことや、心のこもった祈り、選ばれた神聖な本を読むことなどによって、人は自己の本質を悟り、「神」とつながることができます。 

39) ときどき自分は誰なのかと思うことがあります。私は内面に心と知性を持った肉体なのでしょうか。もしそうであるなら、この肉体が焼かれたり埋葬されたりす るとき、再生はどのようにして可能となるのでしょうか。すべての宗教が信じている天国と地獄に、私はどのようにして行くのでしょうか

 人間としての存在には八つの相があります。

 1. 皮膚、肉、骨、そして目や耳といった感覚器官から成る肉体
 2. 十個のものから成る器官:視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚という五感と手、足、話すこと、排泄、出産という五個の行動器官
 3. 生命エネルギー
 4. 心(考える、想像する、感じる)
 5. 知性(分析する、理解する、決定する)
 6. 記憶
 7. エゴ;‘私が’‘私の’という意識
 8.「真の自己」あるいは「アートマン」

 1は粗大な体のこと。2から6は精妙な体に関するものです。7は原因体について述べています。

これら七つの面を超えたところに「自己」があります。それは私たちの実体に関わるもので、「純粋意識」です。そこからわれわれの意識が引き出され、体や心などは機能することができるのです。

 死の時に無くなり、火葬や土葬されるのは粗大な体であり、精妙な体と原因体は無くなりません。これらは魂とともにあり、その人のカルマに従って天国か地獄に行き、それからまた再び生まれてきます。

 私たちはときどき自分を肉体と同一視して‘私は肉体だ。私は歩いている’というふうに思います。また自分を肉体や目のような感覚器官と同一視して‘私は 肉体である。目である。私は見ている’と思うこともあります。また時には自分自身を肉体と心だと思い、‘私は体であり心であり、私は考える’と思います。 このように私たちの存在のさまざまな面とさまざまな状況に焦点をあわせた‘私’という考え(私意識)が継続的に続くのです。

 しかし私たちには、衰えることも死ぬこともない唯一の不変の側面があります。それが「純粋意識」です。他のすべての面の実体は私たちの自己(「アートマ ン」)です。それは私たちの存在の他のすべての面の基礎です。永遠、不滅、自由であり、至福に満ちている、この「純粋意識」が私たちの真の‘私’、「アー トマン」です。

(40)もし真の‘私’が「純粋意識」であるなら、なぜ私はそれを感じることができないのですか

  ひとつの説明によると、‘無知’という呪縛(マーヤー)の下で、真の永遠なる「自己」は、それと物質的で一時的な肉体と心の複合体を同一視します。言 い換えれば、それはそれ自身についての誤った観念をもたらします。しかし識別や他の霊的修行法に従うことによって、真の「自己」は自らをその同一意識から 引き離して真の自己に集中します。永遠不滅、自由で至福に満ちた「純粋意識」である自らの真の性質を悟るのです。


(41)私たちはなぜ生まれるのですか

 a) ひとつの観点から言うと、私たちはいつか必ず滅びる肉体を持ってはいますが、「解脱の歓び」を得ることを求めてこの世に生まれるのです。また別の観点からの誕生の説明は(42)の解答を参照してください。

 b) 人生の目的は何ですかヒンドゥー教の伝統によると、人生の目的として考えるべき事柄はつぎの四つです:

 1. 有徳な生活をおくる。
 2. 正直な手段で金をかせぐ。
 3. 識別して、人生の喜びを楽しむ。
 4.「神」あるいは「自己」を悟って、解脱を得る。

    四番目の解脱は、ヒンドゥー教徒にとって人生の最高、究極の目的と見なされるものです。それは、生死の輪廻によって引き起こされる絶え間ない苦難に終結をもたらし、人に至福と平安に満ちた永遠の命を与えます。

(42)死とは何ですか。死後何が起こるのでしょうか。

 死は人生という本の一章の終わりです。死は魂が、病んだり、使い古された肉体を捨てて、新しい肉体を取り上げるときに起こります。未完成の仕事をなし、 成就されなかった欲望を満たすために新しいエネルギーと熱意を有する新しい肉体を得て、まだ経験されていない前世の「カルマ」の結果を経験するのです。こ のようにして、一章が終わり、また新しい一章が始まります。それは魂が解脱を得て、人生という本が終わりになるまで、繰り返されるのです。

(43)もし「神」が存在するなら、なぜこのような大災害や苦難があるのですか

 「神」は私たちがこの世でたくさんの重要な教訓を学び、知恵を身につけることができるようにという意図でこの世界をデザインしました。私たちはそれが良 いものでも悪いものでも、楽しいものでもいやなものでも、苦しく衝撃的なものでも、その経験を通して学びます。私たちの学びが完了し、自分の人生つまり何 世にもわたる人生において、真に賢くなったとき初めて、私たちは無限の歓びと永遠の平安を楽しむ自由を得るのです。


V. 霊性の修行


(44)a)霊性の修行とはどのようなことでしょうか
         b)何故修行すべきなのですか

 a)霊性の修行は、純粋意識である私たちの自己の真の性質に気づき、最終的にはそれを悟ることを助けるような実践のことです。
 b)肉体的、精神的、知的、道徳的な成長のための実践といっしょに行なわれる霊的実践は私たちの人格を全体的に調和のとれたものにします;その結果私た ちは落ちついた喜びと平安と知恵を得て、人生が成就されます。どんなに壮大な物質的達成を得たとしても、瞑想や他者への無私で慈悲深い奉仕などのようなあ る種の霊的な実践を毎日規則的に行なわなければ、皆が渇望する落ちついた心の平安と喜びを得ることは困難です。

 [この章の他の質問の答えを見てください] 

(45)「神」に祈るとき、世界中に起こる巨大な自然災害に際して、すべての人の幸福を祈るにはどうしたらよいでしょうか

 すべての人の幸福を一般的に祈る場合、次のように心の中で祈るとよいでしょう:すべての人に幸運が起こりますように、すべての人が幸せでありますように、すべての人が平安でありますように、すべての人が完全でありますように。

 もし困っている特定の人のために祈るのなら、まずその人の状況を心に思い浮かべて祈ってください;たとえば東日本大震災の被害者ためになら、次の三つのことを祈るといいでしょう:

 a. 亡くなられた人の魂の平安のための祈り
 b. 亡くなられた人の家族親戚、また生存してはいるが苦しんでいるその他の犠牲者の平安と慰めと健康のための祈り
 c. 正常な生活ができるだけ早く取り戻されますようにという祈り

(46)瞑想の最善の方法(時刻、時間、呼吸、集中等)を教えてください

 落ちついて背骨をまっすぐに座り、動かないで目を閉じる。深く規則的な呼吸をする。しばらく心を見つめ、最後に神聖なテーマに集中します。朝は瞑想にとって最適な時です。毎日決まった時、場所、時間(最低でも20〜30分)に行ないましょう。

 当協会では‘ディヤーナム’という題名の、瞑想を一歩一歩指導するCD(英語、日本語版)を出しています。最初はそれを参考にするとよいでしょう。また、瞑想についての質問への他の解答も参考にしてください。

 ‘ディヤーナム’CD:<http://www.vedantajp.com/ショップ/>


(47)瞑想のためにどのような基礎的な準備をすればいいですか

 a.よい状態に調えられた食事、仕事、休息、娯楽
 b.忍耐強く実践を続けるための強いモチベーション
 c.賛歌の朗唱あるいは聴聞
 d.選ばれた神聖な本を読むこと http://www.vedantajp.com/ショップ/
 e.この章の瞑想についての解答参照

[当協会のホームページ/論説Text Gallery/Meditation:Why and How?を見てください]


(48)啓発を得るために、どのような瞑想を実践すべきでしょうか

 深い瞑想を通して啓発を経験したいなら、毎日少なくとも朝夕各1時間を瞑想にあてなければなりません。できるだけたくさんマントラを繰り返すことによっ て「神」つまり自己の「アートマン」につながり、祈りに満ちた態度で働き、またバランスのとれた生き方をすることです。そして瞑想の時間をじょじょに増や すべきです。また瞑想に関する他の解答も参考にしてください。最後に、さらなる詳細な指導を受けるためには、経験を積んだ霊性の指導者にも相談するとよい でしょう。

(49)瞑想を毎日の習慣にするにはどうすればいいですか

 a.食物が肉体の健康にとって最も重要であるのと同じように、瞑想は心の健康と霊的な幸福のために最も重要なのだという深い内省と理解を通して、自分自身のうちに強いモチベーションを作ること
 b.瞑想の時間を毎日の日課にすること
 c.毎日の瞑想をする前、少なくとも20〜30分は食事をとらず、他の仕事は何もしないこと

(50)真夜中には瞑想しない方がよいと聞いたのですが、私は仕事の都合上ふさわしい時間に帰宅できません。電車で移動中に瞑想しても大丈夫ですか。それとも、そのような時は瞑想をしない方がいいですか。

 もし、身辺のことが気にならず、乗り越すことが心配でないのなら、電車の中で瞑想してもかまいません。しかし、毎日同じ時に同じ場所でそして静かな雰囲 気の中で瞑想することが望ましいので、家で朝の静かな雰囲気の中で瞑想する方がよいでしょう。帰宅時刻は不規則でも、朝の出勤時刻は大体決まっているで しょう。睡眠時間を20〜30分けずっても健康にはさしつかえないし、20〜30分の瞑想は心の健康と霊的幸福にとって巨大な効果をもたらします。それは 仕事や人間関係においても役立つでしょう。

(51)瞑想中にたくさんの想いが割り込んできて集中できなくなります。この問題をどう処理すればいいですか

 瞑想時にいろいろな想いが現れるのはきわめて普通のことです。瞑想に座るとき、まず目撃者として自分の想いを見まもるか、その想いを青空(それがあなた です)にただよう白い雲のようなものだと思うことです。これは自分の想いをコントロールする助けとなり、現れる数も次第に減るでしょう。それから、心を霊 的なテーマに向けて集中させ、瞑想を続けます。瞑想の間に、ときには人生の目的や自己分析についての内省をします。それぞれの部分に少なくとも20〜30 分、休日にはもっと多くの時間をあてるようにしてください。

(52)瞑想によって得られた平安な気持ちを一日中保つには、どうすればいいですか

 一日中、できるだけたくさん「神」の神聖な御名や自分のマントラを繰り返し、敬虔な態度で自分の仕事を行なうことです。(カルマ・ヨーガ)

(53)私は「神」にすべてを捧げていると思いながら毎日瞑想しています。しかし時々落ちつかなくなり‘これは正しいことなのだろうか?’と自問します。どうしたらよいでしょうか

 私たちが自己中心性から離れれば離れるほど、もっと「神」にすべてを捧げ「彼」に任せることができるようになります。それは私たちを心配事から解放し、平安な気持ちにしてくれます。エゴのない生き方を実践することは「神」への献身の実践とともに行なうべきです。

(54)霊性の修行において、重要な霊的訓練と見なされている識別とは何ですか

 識別とはまず、永遠でないものと永遠のもの、相対的なものと絶対的なもの、変化するものと不変のものの間の違いを理解することです。それから、それぞれ の対象と知覚をそれによって判断し、「実在」あるいはヒンドゥー教では「ブラッマン」として知られている永遠、無限、絶対、不変の実体にフォーカスするこ とです。識別は、知識の道(ギャーナ)と信仰の道(バクティ)の両方において実践することができます。

    霊性の生活に必要な、もう一種類の識別があります。それは、良いもの(スレーヤス) と愉快なもの (プレーヤス) 、つまり、私たちを解脱に導くものと世俗に縛りつけるものとの識別です。

(55)識別の例を教えてください

 1. 知識の道(ギャーナ)による識別

     a. 私が所有する肉体、生命エネルギー、心、知性、記憶、エゴは物質でできており、一時的で有限なもの。私は肉体と心の複合体でもないし、その機能に影響され るものでもない。私は「純粋意識」。私は永遠、無限、自由、純粋で至福に満ちている。真の「私」である意識から意識を借りて体と心の複合体は働く。
        b. さまざまな名と形を持つ、この宇宙のすべての生命のない物体は物質でできており、つかの間で有限なものだ。しかし、この宇宙の実体は巨視的に見れば、永 遠、無限、純粋で至福に満ちた「純粋意識」である。
        c. 個別的に見た場合の「純粋意識」の性質は巨視的に見た場合と同じだ。それは「存在、智識、完全な至福」である。

 2. 信仰の道(バクティ)による識別
        a. 私が所有する肉体、心、知性は実は私のものではない。すべて「主」からの贈り物である。「彼」が運転者で私は「彼」の道具だから、私を通して操作している のは「主」である。「彼」が私を通して行なう仕事の結果もまた「彼」のものである。私の家族も「主」からの贈り物。家族一人一人にも「彼」が住んでいて、 「彼」は彼らを通して私の奉仕を受けることを望んでいる。
        b. 家族や友人との関係は今生だけに限られているが、「神」と私の関係だけが永遠である。

(56)なぜ識別が必要なのですか

 もし私たちが識別を実践しなければ、自分の肉体や家族を含む、この世の一時的なものに執着することになるからです。そのような執着は結果的に束縛や苦し みや、自惚れ、怒り、嫉妬といったさまざまな否定的な感情をもたらします。そして長い目で見れば完全に平安を失うでしょう。だから、識別の目的は私たちの 焦点を世俗のつかの間のものから永遠なるものへとシフトすることであり、他者との関係を超越して、人生を平安と歓びで満たすことなのです。

(57)しかし、もし私が家族や友だちに何の執着も感じなくなったら、私のハートはドライになり、彼らに対する自分の義務を行なうモチベーションを失うのではないかと心配しています。つまり、執着のない愛は本当に可能なのでしょうか

 そのとおりです。そしてそれがここでのキーポイントです。いま、私たちの愛は執着に満ちています。それ故、私たちの愛を執着から解放するために、できる だけ多くの識別を実践すべきなのです。偉大な在家の信者、そしてもちろん聖者の人生において、無執着な愛の例はたくさんあります。そしてこの愛は彼らに多 くの犠牲をはらっても他者に奉仕する動機を与えたのです。

 しかし、あらゆる種類の執着をいっぺんに取り除くのは難しいので、最低でも相手に期待する感情と同様に人間関係の利己的な面を取り去ることができたら、私たちは執着の有害な結果の多くを取り除くことができます。

(58)放棄とは何ですか。家住者である私たちがそれを実践することができるのですか

 放棄とは、私たちが永遠なるものを求め、つかの間のものより永遠なるものにより多く集中することができるように、世間のはかない物事への執着を諦めるこ とです。僧は内面外面両方の放棄を実践することを要求されますが、家住者は、水の中にあっても水に浸されないハスの花のように、無執着を実践することに よって、精神的な放棄を行なうことができます。

(59)‘エゴ’とは何ですか

 ‘エゴ’という言葉は、しばしばうぬぼれや虚栄心という意味で使われます。そのようなうぬぼれと過度の自尊心にふけることは、他者を無視し見くびる気持 ちを引き起こします。これは人の破滅の原因となります。しかし、エゴのもっと深い意味は、エゴのために、私たちが他者とは異なる人間として、自分の独自性 を意識するようになるということです。

 ヒンドゥー教の哲学によると、人間としての私たちの存在には肉体、感覚器官、心、知性等といったたくさんの面や段階があります。エゴはそこから私たちの 心や体等に関わる、また私たちの家族や友だちそして独占的な意味での個人的な所有物にも関わる、「私意識」や「私のもの意識」という感情が現れるような面 や段階です。

 このエゴは、苦しみにつながる誤った信念や執着の出発点となる‘マーヤー(霊的幻影)の影響のもとに、私たちの存在のうちの肉体や心等のような、つかの 間の面を自己自身と誤って同一視します。一方、このエゴが霊性の修行と識別を通してそれ自身を「純粋意識」であり永遠である「自己」と同一視するか、ある いは「神」の信者や子供として「彼」と同一視してその状態に定着すれば、悟りがついてくるのです。その結果、すべての苦しみは終わりを告げ、人は至福と平 安の境地を経験するでしょう。

(60) 瞑想やジャパなどの霊的修行をするとき、私は自分を信者だと思っています。そして次の瞬間、多くの世俗の義務で忙しくなると、自分が世俗の人間になったと 感じます。この二つの感情は明らかに矛盾しており、私の中に対立や混乱や葛藤を生み出し、いつも私を苦しめます。それらを調和させる方法はありますか

 ある仕事が霊的なものと見なされるか世俗的なものと見なされるかは、その目的とそれが行なわれる方法によって決まります。瞑想であっても、世俗的な動機 で行なわれれば、霊的な恩恵をもたらす霊的実践と呼ぶことはできません。逆に、世俗の義務が霊的な方法で(カルマ・ヨーガ)、また霊的な動機で行なわれれ ばそれは世俗的ではなくなり、霊的恩恵をもたらす霊的実践に変形します。このように、霊的に目覚めた魂にとっては、働きの間も絶えず「神」とつながってい るので、霊的実践と世俗の義務の間の区別はないのです。その結果、すべての仕事は世俗的か霊的かというその性質に関係なく、霊的なものだけに変形させられ ます。

(61)祈るか、直接お願いしなければ、「神」は私たちの願いを聞くことも知ることもないのでしょうか

 「神」は全智ですから私たちの内奥の想い、願い、問題をすべてご存じです。そのような強大な信念と全託の心を持っているので、助けが必要なときは「神」 は助けてくださる、と信じている信者たちもいます。そのような信者のハートには深い信仰があるので、彼らは自分の義務を行ない、大きな損失の危険があって も平安でいられます。しかし、そのような信仰と全託の心を持っていないほとんどの信者は、祈りを通して「神」に助けを求めます。それについて悪いことは何 もありません。

(62)「グル」はどうやって見つければよいのですか

 もしあなたが「神」を熱心に求めるなら、そして霊性の道に導いてくれる‘グル’を見つけようと切望するなら、「神」は必ずあなたの祈りに応えてくださるでしょう。

(63)イニシエーション、マントラとは何ですか

 イニシエーションはグルが弟子に霊性の生活への手ほどきをする儀式です。ヒンドゥー教の聖典では、イニシエーションは‘ディクシャ’と呼ばれます。イニ シエーションのとき、グルあるいは霊性の師は弟子に‘マントラ’(神聖で神秘的な言葉)を伝えます。それは代々のグルから継承されたものとしてグル自身が 伝授されたものです。そのようなマントラは弟子が「神」「自己」を悟ることを可能にする力を持っています。

 信仰と誠意をもって規則正しくマントラを繰り返し、マントラに示されている神性に集中することによって、信者はじょじょに清らかに平安になり、「神」への愛が増大し、遂には「神」を悟るのです。

(64)もし人が「神」を求めると決めたら、その人は楽しみにしている趣味なども諦めるべきですか。そのような趣味を諦めるのはとても難しいという場合、それにかける時間を減らすだけでもかまわないでしょうか

 ガーデニングや音楽といった趣味は非道徳的なものでなく、適度に行なわれ、また「神」のことを忘れさせるものでないかぎり、基本的に悪いことではありません。むしろ歓迎されるべきものです。

(65)家族は私の信仰生活に反対しています。私はどうすべきですか

 もしあなたが信仰の生活が自分にとってよいものであり、霊性の実践によって家族に迷惑をかけてはいない、あるいは家族への義務を果たしているという確信 があれば、家族の反対は静かに無視すべきでしょう。それでもやはり、家族の反対に直面することを避けるよりは、むしろ彼らのために「神」に祈ることです。 あなたが誠実に祈るなら、現在あなたの霊性の生活に反対している人々が内心であなたを正しく評価するようになり、そのうちあなたの実践に対する見方を変え ることもあるでしょう。彼らはあなたの行動を見て、それに興味を持つようになることさえあるでしょう。

(66)とても忙しいので、講話などに参加できない人々がいます。そのような人が霊性の生活を送るのを助ける方法はありますか。

 そのような場合、インターネットがとても役に立ちます。たとえば逗子の協会の月例会や東京のインド大使館でのギーターの講義に出られないなら、定期的に アップロードされているホームページを見ることによって、少なくともそれらの内容を聞いたり読んだりすることができます。さらに当協会から出ている瞑想指 導や信仰歌のCD、また霊的な本は霊性の生活を送る助けになるでしょう。当協会のプログラムについてさらに詳しく知りたければ、私たちの“shop”ペー ジを見てください。

(67)私はヴェーダーンタ協会で出されているバジャンを毎日の祈りのときに歌うことができません。ほとんどの歌は意味がわからないのですが、それを歌うことは霊的修行にとって効果があるのでしょうか

 信仰の歌、賛歌、格言などの朗唱は、世界中のさまざまな宗教の伝統の中で、心の平安と霊性の進歩に役立つとされています。もし言葉の問題でそれを歌うこ とが困難であるのなら、ほとんどのものは日本語に訳されているので、その内容に集中してみてください。さもなければバジャンの間その神聖な波動を感じ、 「神」を思いましょう。

(68)自分の部屋に祭壇を作るとしたら、東西南北どちらの方角に向くのがよいのですか。その場合、写真は清めるべきですか、どのようにして清めればいいですか

 正統派ヒンドゥーの伝統には、祭壇を作る際のはっきりした決まりはありませんが、自分の便利なように作って問題ないでしょう。「神」はそのような二義的 なことに真の価値を置かれることはないからです。「彼」が重視されるのは「彼」への真の帰依です。「神」の写真や絵はすでに清らかなものなので、清める必 要はありません。
 

VI. 心の平安と歓び


(69)肯定的な考え方と生き方について助言をお願いします

 しばらくの間静かに座って、あなたの人生の目的とそれを成就する方法について考えてください。手に届く人生の目標を設定して、それに向かって働きなさ い。‘今’に集中し、過去のあやまちを思い悩まず、失敗を気にしない。失敗は成功への道を教えてくれます。だからもう一度挑戦してみてください。

 折りにふれて、心を鼓舞する教えにふれ、それらのうちのいくつかをメモして、失望や弱気が出て来た時、心の中で繰り返してごらんなさい。いくつか良い趣 味を持ちなさい。私たちのホームページでも’Discourse Text Gallery’を特集しています。Archivesの中で‘肯定的な生き方’についての記事が見られます。また(94)、(95)の解答も見てくださ い。

(70)有意義で喜びに満ちた人生を送るための生き方について、助言を下さい

 (69)、(94)、(95)の解答を見てください。

(71)日々の生活の中で平安に満ちた心を維持するには、どうすればいいですか

 毎日20〜30分、瞑想を実践すること、そして、今ここでの仕事に集中することです。「5.霊性の修行」の瞑想に関する解答も見てください。

(72)どうすれば、心を集中させることができるでしょうか

 自分の好きなことに没頭している時にはほとんどの人が集中を経験します。しかし私たちの好きなことがすべて常に有益だとは限りません。また有益なものが すべて興味深いものとは限らないかもしれません。だからそのようなことに集中するのは難しいのです。もし人生において成功し、自分の成長のために何かを学 び、実践したいなら、それがおもしろいかそうでないかに関係なく、そのことに心を集中する必要があるでしょう。

 規則正しい瞑想の実践によって、私たちはたしかに集中力を開発することができますし、大きなことを成し遂げるときにはそれを応用できます。しかし、もし 私たちがこの集中の技術を習得したいなら、それに取り組まなければなりません。結果を出すには集中の訓練のために、毎日最低20〜30分をさかねばならな いでしょう。これについての詳細は、「5.霊性の修行」の中の瞑想についての解答を見てください。

(73)否定的で無気力な考えがしばしば心に浮かびます。どうすれば精神的に強くなれるでしょうか

 a.スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの言葉を、折りにふれて思い出してください:
「弱さの治療法は弱さについて思い悩むことではなく、強さを思うことだ」
 b.一日の予定表を作り、その一つ一つの予定に自分の全心を集中させて実行してみてください。
 c.現在の一刻一刻をよく生きてください。
 d.否定的な考えや不必要な心配が心に現れたら、いつも神聖な名前や言葉(ブッダ、キリスト、シヴァ、クリシュナ、ラーマクリシュナ、あるいはオームなど)や、何か肯定的な言葉(平安、調和など)をしばらく心の中で繰り返し、それから再び自分の予定に集中してください。

(74)霊性の講話を聴いたり瞑想をしたりすると、その後働いている間も平安を感じ、他の人たちと調和した結びつきを感じます。しかし、時がたつと私の心は次第に不安になります。どうすれば常に平安な気分でいられるのでしょうか

 霊的な講義を聴くことに加えて、毎日20〜30分瞑想し、他の時にはできるだけたくさん心の中でマントラ(「神」や聖者の神聖な名前)を唱えて、敬虔な心で仕事をしてください。

(75)過去のあやまちや悪行、また悲しい経験をどうしたら忘れることができますか

 (73)の解答を見てください。また人がどんなに重大な罪を犯したとしても、その悪行を心から悔い改め、「神」に避難所を求めて二度とそのようなことを しないと誓えば、「神」はそれを許してくださいます。過去の悪行や失敗について無益な思い悩みに陥り、それによって自分自身を弱くするより、この肯定的な やり方に従う方がよいのです。

(76)私は将来のことがとても心配です。どうすれば現在に集中できますか

 (73)の解答を参照してください。

(77)つまらないことを後悔したり罪悪感を持つことはどうしたら止められるでしょうか

 自信を育て、「今」に集中することです。
 (73)(75)の解答も参照してください。

(78)どうすれば無私になれますか。

 私たちはより高い人生——知恵や清らかさや慈悲や奉仕に基づいた人生への願望、そして「神」中心の生活とそれにかかわる仕事を求める願望を育てることが できます。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの言葉を熟考してください:「無私は自分本位な我がままより割に合っている。ただ人々はそれを実践する忍耐力 がないのだ」

(79)‘良い欲望’と‘悪い欲望’はどのようにして区別できますか

 欲望が成就したときの結果を分析してください。もしある欲望の成就が、遅かれ早かれ、私たちを肉体的精神的霊的に弱くし、また私たちに後悔を感じさせる ものであるなら、そのような欲望は間違いなく悪いものです。一方、その成就が私たちを強くし、喜びで満たし、引き上げてくれるものであるなら、それは確か によいものです。バガヴァッド・ギーターの第18章37、38、39節で説明されているサットワ、ラジャス、タマスについて研究してください。

VII. 人間関係


(80)どうしたら人から真の愛を受けることができますか

 他者から愛されたいと思うなら、まずお返しを期待しないで他者を愛することです。

(81)どうしたら他者とよりよい人間関係を作ることができますか

 よりよい人間関係にとって最も必要なことは他者を愛することです。愛は他者のハートに入るためのパスワードです。与えるものは多く、受けるものは少なく、と心がけることも大切です。

(82)どうしたら人と平和に仲良く暮らすことができますか。特に私たち(夫婦)は価値観が違い、それが私たちの関係を緊張させてしまいます。そのような時どうすればよいでしょうか

 価値観は人によって違います。その観念が道徳に反するものでなければ相手を批判すべきではありません。相手に同意できない点ではなく、同意できる所に重点を置くのです。相手が自分と同じ行動をとることを期待しないで、他者の短所はできるだけ見ないようにすることです。

(83)私には特別苦手な人がいて、その人に話しかけることも、そばに行くことさえもできません。この問題をどう解決したらいいでしょうか

 a.他の人々もその人物とのコミュニケーションで同じ問題を持っているか、
それともあなただけなのか、よく考えてみてください。
 b.その人物が他者も認めるような良い性質を持っているかどうか探してみてください。あなたがそれを見落としているか、気づいていないのかもしれません。
 c.その人物が好むこと好まないことを観察し、あなたの行動を調整してみましょう。
 d.他者を変えようとする前に私たち自身が変わるなら、相手も変わるということに気づくでしょう。


(84)頑固で気難しい人とどうつき合えばいいですか

 その人の好き嫌いを観察してみてください。それに応じてその人とふれ合うのです。自分の信念と妥協するのではなく、できるだけ他者と適合しようとするべきです。また(81)(83)(86)の解答も参考にしてください。

(85)私は仕事の同僚とのコミュニケーションで悩んでいます。相手に親切にしようとしても、うまくいきません。どうすればいいでしょうか

 (81)〜(83)、(86)の解答を見てください。

(86)どうすればいつも他人に対して思いやりを持つことができますか

 他者の中に「神」を見ようと努めること。他者を理解し、愛すること。そして必要とされるときはいつでも援助の手をさしのべることです。

(87)他者の中に肯定的なものを見るということがときどき難しくなるのですが、常にそれを保つにはどうすればいいですか

 私たちは一般的に自分自身の性格についてはわかっています。しかし自分の否定的な面を知っていても、自分自身を嫌うでしょうか?ノーです。そしてさら に、他者が私たちの欠点を見過ごしてくれることを期待するでしょう。同様にたとえ私たちが他者の否定的な面に気づいたとしても、私たちはそれを気にせず心 を乱されないでいるべきです。他者の弱点を無視し、良いところを認め、彼らの幸せを祈るように努力してください。蜜だけを求める蜂になり、汚物を求めるハ エにならないことを理想としましょう。

(88)私は親しくしていた人々に裏切られたことがあり、誰のことも信じられなくなり、人生が無意味に感じられます。私の考え方は間違っていますか

 人生において、私たちはさまざまな人間とつながりを持ちます。自分を裏切る人もいれば、いつも変わらず愛してくれる人もいます。なぜ私たちはたった一つ の裏切りにこだわり、愛と慈悲という他のすべての場合を忘れるのでしょうか?人生は私たちに良いことも悪いこともたくさんの経験を提供します。私たちはそ れらから学び、成長し、完成に到るのです。それが私たちの人生のゴールなのです。

(89)私は仕事上、たくさんの‘ラジャス’的な気質を持つ上司や年長者とつき合わなければなりません。助言をお願いします

 霊性の修行と自己分析によって自分自身を‘サットワ’の状態にしっかりと定着させなさい。そうすれば‘ラジャス’的な人々に正しく対応することができる でしょう。やり方はソフトで思いやり深く、しかし同時に信念に基づくことは確固とすることです。さらに(16)の解答を見てください。

VIII. その他 


(90)非常に怠惰な人間を活発にすることはできますか

 私たち自身が、彼らに期待する活動的な生き方の手本になることにより、そのような人に絶えずやる気を起こさせることができます。

(91)過食や眠気はどうすればコントロールできますか

 もしあなたが暴飲暴食は自分にとってよくないと思い、それをやめたいなら、まずそれがなぜ良くないことなのか考えてごらんなさい。たとえば、過大な食物 を消化するにはたくさんのエネルギーが必要で、それはエネルギーの浪費です。さらにそれは心を無気力にし、病気を引き起こすかもしれません。このようにし て、あなたが過食は良くないと確信したら、過度な飲食に対する欲望を心が自制する気になるまで、それを繰り返し心に伝え続けることです。

 多眠や過度の眠気は、‘タマス’的な人間の特徴で、最終的にはその人を頭の鈍い、無気力で怠惰な性格にし、失敗に対して傷つきやすくします。このような 状態を克服するために、人生は貴重だが短くつかの間のものだから、もっと高くもっと意味のある人生を送ることが出来るように、自分の時間をできるだけ有効 に使うべきだということを、くり返し印象づけることによって、心を刺激しなければなりません。眠気が来たら、規則的な運動、ストレッチ体操、早足歩きなど が効果的でしょう。

(92)なぜ人々にはこんなに大きな差があるのですか;貧富、健康の善し悪しなど

 世の中に見られる、時には痛みを覚える、このような差に対して多くの説明があるでしょう。そのうちの幾つかを述べてみよう。

 a.宇宙とそこに住む生命のあるものないものすべては五つの要素からできています;Kshiti(土)、Ap(水)、Tejas(火)、Maruti (空)、Vyoma(エーテル)この五要素それぞれに‘サットワ’、‘ラジャス’、‘タマス’の三性質がいろいろな割合で混ぜられたものであり、それが物 や人の差異の原因です。
 b.人生におけるこれらの差異のうちの幾つかはカルマの理論によって説明することができます。(16)の解答を参照してください。
 c.暗やみがあるから私たちは明るさの価値を理解し、光によって暗やみを追い払おうと努力します。また私たちは無知を憎悪し、知識を求めて努力することにより、自分自身を進歩させ、完全を目指して前進するのです。
 d.ある地域での、適性とか好みに関する差異は、一般的に人生をおもしろく彩るものとして歓迎されます。

(93) お金のために働くのはとても低い動機であると思い、ボランティアの仕事をしています。しかし同時に、もし私がお金のために働かなかったら経済的な問題に直 面するかもしれないし、また日本の社会は後に私が労働力として復帰することを認めてくれないのではないかと心配しています。助言をお願いします

 自分自身と家族を養うために、正直な方法でお金を稼ぐことは少しも悪いことではありません。敬虔な態度で(カルマ・ヨーガ)奉仕の精神をもって仕事をしてください。

(94) 私は、規則的な瞑想の実践、ヨガの練習、神聖な本の研究などが自分の心と体によいということを知っていますが、それらに熱中することも出来ず、2〜3日で 諦めることもあります。その結果、自分の人生に何ら肯定的な変化をもたらすこともできません。私はそれをとても悩み、失望して悲しくなります。この問題に 解決法はあるでしょうか

 これは、まったくあなただけの問題というわけではありません。よりよい人生を送りたいと望む理想主義の人々は似たような問題を抱えています。実はこの状 況は意志の力と強い動機の欠除が原因となっているのです。これを克服するために次のような方法が示されています。真剣に実行すれば肯定的な結果が得られる でしょう。

 1.ときどき内省をする。これは自分の現在の状態を認識し、自己成長のための新しい決意をする助けとなります。
 2.一日のスケジュールを、運動、瞑想、勉強なども含めて作り、少なくとも1週間に1回それを几帳面に実行する。少しでもそれに成功したら、よい習慣を育てる際の大きな助けとなるでしょう
 3.たとえ非常に多忙で、少し体調が悪くても、これらの修行を少しでも実践すること。それを全部抜かしてしまってはいけません。もし一回でもそれらを止めたら、修行が嫌いで気楽なことが好きな人間の心は、次の日もそれらを止める言い訳を見つけるでしょう。
 4.自分の心がそれをしたくないと思っていても、やるべきことをやりなさい。これが意志の力を増大する助けとなります。
 5.インスピレーションを受けた言葉を幾つか記憶し、それらを心の中で反復しなさい。またそのような言葉を紙に書いて机かパソコンの上に張り、毎日読み なさい。これは簡単だがとても効果的な方法です。後に非常に著名になった人々の中にはこれを実行していた人がかなりいます。

(95)何か鼓舞させるようなメッセージをください

 1.内省は人生という車のハンドルだ。
 2.あなたができると思えば、できる。 ノーマン・ヴィンセント・ピエール
 3.成功するまで、成功を求めて努力せよ。 松下幸之助
 4.すべての力はあなたの内にある。 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ
 5.自分自身を信じること、「神」を信じることは偉大さの秘訣だ。 
スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ
 6.強さは生、弱さは死だ。弱さの治療は弱さについて思い悩むことではなく、強さを思うことだ。 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ
 7.希望は命、絶望は死だ。 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ
 8.自分自身を決して気落ちさせてはならない。君の「自己」によって自分自身を引き上げなさい。 バガヴァッド・ギーター
 9.自我心を克服した人にとって、心は最良の友であるが、それを克服できない人にとっては、心こそ最大の敵となる。  バガヴァッド・ギーター:第6章6節
 10.残酷な問題から逃げないで、立ち向かえ! スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ
 11.この瞬間をよく生きなさい。今あなたの手の中にある仕事は、あなたにとって最も大切な仕事です。今あなたの前にいる人はあなたにとって最も大切な人です。 レオ・トルストイ
 12.心と体両方の健康の秘訣は、過去について嘆かず、未来について心配せず、困難を予想することではなく、現在を賢く真剣に生きることだ。   ゴータマ・ブッダ
 13.愛は人のハートに入るパスワード。
 14.私たちの心配の90パーセントは想像であり、まったく起こらない。
 15.無私は「神」だ。 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ