今月のニュースレター

 

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ヴェーダーンタ協会ニュースレター(日本語版)

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

2024年12月 第22 巻 第12号

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かく語りき――聖人の言葉

 

あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。

…マタイによる福音書18:12

 

あらゆる形のプライドやエゴを避け、神の御足元に避難しなければならない。しかし、真理と神に避難したいと願う人はどれくらいいるだろうか? 誰もが自分は絶対正しいと思っている。エゴに惑わされて、人は自分を非常に重要だと考える。神の存在を信じようともしない。自分の知性で理解できることがいかに少ないかを真剣に考えたことがない。マハーマーヤーだけが、彼女がどれほど多くの方法で人を惑わしてきたかをご存じである。

…スワーミー・ブラフマーナンダ

 

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目次

・かく語りき――聖人の言葉

・お知らせ

20252月の生誕日

20241020日月例講話

「ヴェーダーンタ入門」

スワーミー・ディッヴィヤーナターナンダ

20241116日午前 月例講話 

「オーストラリアにおけるヴェーダーンタ」

スワーミー・アートメーシャナンダ

・忘れられない物語

・今月の思想

 

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お知らせ

・各プログラムに参加を希望される方は、協会までご一報ください。

・日本ヴェーダーンタ協会の行事予定はホームページをご確認ください。

https://www.vedantajp.com/

 

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20252月生誕日 

スワーミー・トリグナティターナンダ          22日(日)

スワーミー・アドブターナンダ             2月12日(水)

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20241020日月例講話 逗子本館

 

「ヴェーダーンタ入門」

スワーミー・ディッヴィヤーナターナンダ

 

ヴェーダーンタという言葉は、哲学を学ぶ学生にとっては非常に一般的な言葉です。インドでは、ほとんど誰もがその名前を知っています。しかし、ヴェーダーンタが何であるかについて、私たち全員が明確な考えを持っているわけではありません。ここでは、ヴェーダーンタについて説明してみたいと思います。

 

周りを見渡せば、美しい山々、海、川、青々とした緑の野原、人間や動物たち――これらは一体どこから来たのでしょう。人間の中には、金持ちで多くの富とあらゆる楽しみに恵まれている人もいれば、貧しく、一生惨めなままでいる人もいます。なぜ?という疑問が湧きます。生者必滅なのに、なぜ死後に必ず置いていくことになる多くのものを欲しがるのでしょうか? この世で実在とはなんですか? 私たちの周りにあるこの存在は実在でしょうか? さらに、私たちは一生幸せを探し求めますが、本当の幸せを何にも見つけることができません。なぜ? 本当の幸せはどこに見つけられますか?

 

ヴェーダーンタはこれらの質問に答えようとします。

 

ブラフマン

ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッドでは、弟子が師に「何を知れば、すべてを知ることができるのですか?」と尋ねます。

師は答えました。「ブラフマンを知ることによって。この現象的存在の顕現の源であるブラフマンを知ることで、すべてが知られるようになる」

なぜでしょうか? それは、ブラフマンが現象的存在におけるすべてのものの本質だからです。唯一のブラフマンが存在全体に浸透しています。土鍋の中には土しかないのと同じように、これらすべての名前と形の背後には、未分化の存在であるブラフマンがあります。ブラフマンは、さまざまな名前と形によって分割されているように思われます。ですので、ブラフマンを知れば、他に知る必要のあるものは何もありません。

 

リグ・ヴェーダは「存在するのは『一なるもの』であり、人々はそれをさまざまな名前で呼ぶ」と述べています。その無限で、絶対で、名前も形も超えたものがヴェーダーンタ哲学の基礎です。

 

ブラフマン:ニルグナとサグナ

ブラフマンには二つの側面があります。一つは、性質を持たず、もう一つは性質を持っています。前者をニルグナ・ブラフマン、後者をサグナ・ブラフマンと言います。

 

ニルグナ・ブラフマンは上記のように、いかなる性質や特徴によっても定義したり説明したりすることはできません。それは、心、言葉、体の及ぶ範囲を超えています。シュリー・ラーマクリシュナは、ブラフマン以外はすべて汚れている、とおっしゃいました。つまり、誰もブラフマンが何であるかを説明できたことがないのです。ブラフマンは神でも、天使でも、男性でも女性でもありません。それは、太陽、月、惑星、そして私たちが知覚できる巨大なものや大きいものを超えています。現象的存在全体は、時間、空間、原因によって制限されていますが、ブラフマンは時間も空間もなく、いかなる原因からも独立しています。ブラフマンは、姿、色、形などを持つ物体ではないため、知ることもできません。私たちは、耳、目、触覚、嗅覚などの器官によってどんなことも知ります。しかし、ブラフマンは感覚で知覚できるようなものではありません。だから知ることができないのです。

 

ブラフマンは、マーヤーの助けを借りて宇宙を創造します。宇宙の創造主として、「彼」はサグナ・ブラフマン、もしくはイーシュワラと呼ばれます。「彼」はこの宇宙の創造者、維持者、破壊者です。創造者としてはブラフマー、維持者としてはヴィシュヌ、破壊者としてはシヴァと呼ばれています。ニルグナ・ブラフマンは礼拝できませんが、サグナ・ブラフマンは礼拝できます。

 

サッチーダーナンダ(絶対の存在 – 絶対の意識 – 絶対の至福)

 

ブラフマンは「サット(存在)」

ウパニシャドはブラフマンを「サティヤサ サティヤム(真理の中の真理)」と表現しています。これは、ブラフマンだけが実在であり、この現象的存在における他のすべては一時的なものであることを意味します。それらはブラフマンから存在を派生します。水の中の波は、水がある間だけ存在します。波は水から存在を派生します。それと同じように、ブラフマンという存在は「絶対」ですが、この世界の現実は仮象です。

 

ブラフマンは「チット(知識)」

晴れ渡る空が青く見えるのは、湿気の中の水粒子がスペクトルの中の青色を最も分散させるためです。目覚めている状態と夢を見ている状態のとき、私たちは自分自身の心と体の状態を認識し、幸せだなあ、悲しい、しんどい、元気だ、と感じます。しかし、これらすべての感情は、ウパディス(体、心、知性)と繋がっている故に生じるものです。真我は、これらすべての体の変化や心の動きから自由です。にもかかわらず、これらの体と心の変化は、心を通して感じられます。心はアートマンではありませんが、アートマンの意識は心を通して現れます。この意識は、過去、現在、未来、目覚めているとき、夢を見ているとき、眠っているとき、常に同じです。この意識がブラフマンです。この意識は、誕生から死に至るまで、私たちの体、心、自我などのすべての状態を照らします。

 

ブラフマンは「アーナンダ(至福)」

ブラフマンは無限であり、悲しみ、辛い気持ち、死などを超越しているので、至福そのものです。至福と幸福は同じではありません。幸福はブラフマンの極微部分であり、世俗的な喜びを通じてもたらされます。ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッドは美しく説明します。

 

「夫が愛しいのは夫の故ではなく、真我が愛しい故である。妻が愛しいのは妻の故ではなく、真我が愛しい故である。息子が愛しいのは息子の故ではなく、真我が愛しい故である…」

 

深い眠りの間、私たちはみな至福を経験します。なぜなら、私たちはこの世を忘れ、自分の体、悲しみ、悩み、親戚などを忘れるからです。しかし、ブラフマンの至福は、いかなる人間の基準でも測ることができません。

 

マーヤーの遊び

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは「マーヤーは現実の表明である」とおっしゃいました。[※日本ヴェーダーンタ協会出版『ギャーナ・ヨーガ』(マーヤーとまぼろし)の9頁目参照』] それは描写できません。しかし、その遊びは、その効果をもって知ることができます。私たちはみな、死ぬと知りながらも永遠に生きたいと望むのは、マーヤーの呪縛によるものです。私たちはひとりで生まれ、ひとりで死ぬことをよく知っているのに、他人と関わり、「彼/彼女は私のすべてだ」などと感じます。マーヤーとの関連で、ブラフマンは宇宙を創造します。このマーヤーは非常に強力なので、神の化身でさえ、時には自分の本質を忘れることがあるほどです。

 

マーヤーには二つの力があります。一つはアーヴァラナ・シャクティ(隠蔽力)で、これによって私たちからブラフマンを隠します。もう一つの力はヴィクシェーパ・シャクティ(投影力)です。地面に横たわるロープが蛇のように見えて、通行人は簡単に怖がります。暗闇はロープの存在を隠し、同時に蛇の想像を生み出し、それによって恐怖が出ます。したがって、アーヴァラナ・シャクティとヴィクシェーパ・シャクティは同時に機能しているといえます。

 

個人の魂「ジーヴァ」

個々の真我はジーヴァとも呼ばれ、その意識はブラフマンから派生しています。その意識の光によって、心、知性、体のさまざまな器官が機能します。ジーヴァは体、心、この世界に執着します。ブラフマンとジーヴァは力と巨大さが異なっているように見えますが、実際には同じです。しかし、至高の魂と個々の魂の違いは、巨大な山とけし粒、または太陽と小さな火の違いに例えることができます。個々の魂はそれぞれブラフマンです。しかし、その本性は、無知が原因で、感覚器官、心、自我などによって見えなくなっています。個々の魂は自らの行為の果実を楽しみます。しかし、無知が取り除かれたとき、それは不死であることを悟ります。

 

カルマと再生

カルマの教義はウパニシャドの重要な構成要素です。カルマは人間間の不平等を説明します。カルマはこの現象的存在における苦しみの理由を説明します。しかし、このカルマはアートマンに影響を与えないことを明確に理解してください。それは、具現化された魂、つまりジーヴァと関係しています。

カルマとは、行為と行為の後の残象を意味します。私たちが何をしようと何を考えようと、すべてはカルマです。ジーヴァは、善悪にかかわらず、そのカルマの結果に苦しまなければなりません。時には、あるカルマの影響が来世に現れることもあります。人はすべての人生で、良いカルマと悪いカルマの両方を続けます。このように、カルマは積み重なり、増加します。それが、私たちが何度も生まれ変わる理由です。しかし、実在と非実在について、正しい行為と間違った行為について識別し、ジーヴァが理解されはじめれば、美徳の道に従い、自分の本性すなわち神についての瞑想を実践することによって、ジーヴァはすべてのカルマを消滅させ、ブラフマンとの真の同一を実現させることができます。

 

グナの遊び

マーヤーは、サットワ、ラジャス、タマスの三つのグナで構成されています。三つのグナは、マーヤーが人を縛る 3 本のロープの撚り糸に例えることができます。三つのグナは、粗大なものにも微細なものにも、また体、心、知性(ブッディ)など、ほとんどすべてのものに存在します。宇宙が精妙な状態で、すべての創造物が生まれる前には、三つのグナは種子の形で存在し、均衡状態にありました。その後、突然、主のご意志によりラジャスが優位になり、これらすべての名前と形が現れ、ゆっくりとこの現象的存在が生まれました。

バガヴァッド・ギーターによれば、私たちが食べる食べ物、考え、行う仕事、慈善、犠牲、礼拝などはすべて、サットワ、ラジャス、タマスという三つの構成要素から成っています。ラジャスの機能はエネルギーの流れであり、ラジャスによって創造における進化と退化が起こり、これらの名前と形が現れます。人間において、ラジャスは活動、野心、欲望、怒り、貪欲として現れます。ラジャスの影響下で、ジーヴァはこの世界に縛られています。タマスとは不活動を意味します。タマスの影響により、実在は隠され、非実在が実在のように見えます。タマスの影響下では、人は鈍く、無気力で、不活動になり、活力とエネルギーを失います。サットワが優勢になると、人は内なる喜びと平安を得ます。利他的な方法で他者に奉仕し、自制心を働かせます。うそをつかないことを実践し、孤独を愛します。

 

三重の体

「粗大な体」とは、私たちの肉体のことであり、その中にジーヴァが宿り、周囲の世界を知覚します。粗大な体は、耳、皮膚、目、舌、鼻という五つの知覚器官と、発声、手、足、排泄、生殖という五つの行動器官で構成されています。死の時には、この粗大な体だけが死にます。

 

「精妙な体」は、プラーナ、アパーナ、ヴィヤーナ、ウダーナ、サマーナという五つのプラーナと、十の器官、心、知性(ブッディ)で構成されています。五つの知覚器官と五つの行動器官と同様に、精妙な体にもこれらの 十の器官が存在します。粗大な体の十の器官は、精妙な体の対応する器官から力を得ています。心と知性(ブッディ)の機能は、それぞれ思案と決断です。

 

「原因の体」は、粗大な体や精妙な体を超えて、さらに奥深くにあります。夢を見ない状態、つまり想像、感情、喜び、悲しみ、その他の感情がまったくない状態では、魂は原因の体の中にあります。

 

魂の三つの状態

魂は、サンスクリット語でいうアヴァスタトラヤ(目覚めている状態、夢を見ている状態、夢を見ない熟睡状態)を経験します。これら三つの状態について簡単に説明します。目覚めている状態では、魂は感覚、体、心、知性でこの世界を認識します。彼は家、人々、通り、山など周囲の物体を見ます。彼は自分の体と心の状態を感じることができます。例えば、自分が病気か健康か、陽気か不機嫌かなどを感じ、外の世界とコミュニケーションをとることができます。

 

体が眠っているとき、夢を見ます。その段階で、魂は想像で物や感情を創り出します。目覚めているときに見たり考えたりすることが、夢の中に現れます。眠っている人が、馬に乗っていて、突然つまずいて怪我をする夢を見ることがあります。ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド[※4.3.10]を引用すると、「夢を見るとき、人はこの世界の一切から小片を採取して、自ら体を脇に置き、代わりに夢の体を創り出し、自らの光で自らの輝きを現す。そこには戦車も、それに繋げる動物も、道もないが、彼はそこに動物と道を作る。そこには歓喜も喜悦も享楽もないが、彼は歓喜、喜悦、享楽を創り出す」

 

夢を見ている人が深い眠りに入り、夢を見なくなると、それは夢のない熟睡状態と呼ばれます。「人がこのように眠って夢を見なくなると、彼はプラーナと一体となる。すると、言葉はあらゆる名前とともに、目はあらゆる形とともに、耳はあらゆる音とともに、心はあらゆる考えとともに、そこに入る」とブリハダラニヤカ・ウパニシャドは述べています。夢のない熟睡状態では、「魂」がブラフマンの意識と一つになります。この状態とブラフマンを知る者の状態には多くの類似点があります。夢を見ない熟睡状態では、人は恐れを知らず、悲しみも執着も欲望もありません。しかし、人が眠りから目覚めると、再びこの世界を意識するようになり、また元の自分に戻ります。

 

モクシャ(解脱)

人間は皆、本来、サット・チット・アーナンダ、神聖、純粋、不滅です。しかし、体、心、知性、自我との結びつきという限定的な付加物のために、ジーヴァは自分の本性を忘れています。彼は、自分の体、親族、お金、富、名前、名誉に自分を縛り付けます。彼は楽しみという欲望を積み重ね、その結果、喜びと苦しみの両方を招きます。苦しみから抜け出す唯一の方法は、ブラフマンとの同一性を知ることです。私たちの聖典は、私たちの本性を悟るための段階的な道を指示します。それは次の通りです。

・実在と非実在の識別(ヴィヴェーカ)

・今生でも来世でも、あらゆる形の楽しみを回避する(ヴァイラーギヤ)

6つの資質:心の平静、自制心、不屈の精神、無執着、聖典と師の言葉への信仰、常に目標を心に留めること(シャット・サンパッティ)

・解脱への憧れ(ムムクシュットヴァ)

 

上記の資質に加えて、真我の知識を望む生徒は、ブラフマンについて説明できるグルと呼ばれる有能な教師に近づきます。生徒はまず教えを聞き (シュラヴァナ)、次にその教えを熟考し (マナナ)、次にその教えについて瞑想します (ニディディヤーサナ)

 

ブラフマンとの同一性を悟った人は、怖れ、悲しみ、死から解放されます。彼は不死になるのです。彼は眠りから目覚め、夢を見なくなった人のようになります。彼にはもう欲望がないので、もう生も死もありません。シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャドは言います。「汚れた金属の一片が火で清められてキラキラと輝くように、肉体を持つ存在はアートマンの真理を理解することによって至高の真我と一つになり、真我実現をなし、悲しみが消えうせる」[※2.14 日本ヴェーダーンタ協会出版『ウパニシャド』232頁参照]

 

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20241116日午前 月例講話 逗子本館

 

「オーストラリアにおけるヴェーダーンタ」

スワーミー・アートメーシャナンダ

 

(オーストラリアのシドニーセンターのブリスベンサブセンターの責任者であるスワーミー・アートメーシャナンダジーが11月に逗子のアーシュラムを訪れ、11月の月例会にて話をしてくださいました)

 

尊敬すべきマハーラージから、私のラーマクリシュナ僧団入団の経緯を簡単に話すように求められました。その経緯を私は常々回顧しているのですが、分かったことは、自分がシュリー・ラーマクリシュナのもとに来たのではなく、シュリー・ラーマクリシュナが私を連れて来てきてくださったのだということです。私がまだ5歳になるくらいの少年だった頃、家の隣に住んでいた年配の紳士と知り合いになりました。私は彼を「おじいちゃん」と呼んでいました。彼は非常に博識で、最初に語ってくれた物語はスワーミー・ヴィヴェーカーナンダと仏陀の物語でした。彼はまた、スワーミージーのシカゴ講演とダンマパダ[仏陀の真理の言葉]のいくつかの詩節を私に暗記させてくださいました。その後、私はマイソールのラーマクリシュナ・ミッション・ヴィディヤシャーラで学校教育を受け、寄宿舎生活を送っていました。そこでシュリー・ラーマクリシュナとホーリー・マザーについても学びました。そこでスワーミー方と交流し、特にスワーミー・ジャガダートマーナンダから影響を受けました。偶然にも、ずっと後になって私が僧侶としてシンガポールに赴任したとき、スワーミー・ジャガダートマーナンダジーもそこにおられました。

 

このように、シュリー・ラーマクリシュナご自身が土台を築いてくださったので、高校を卒業するときには、ラーマクリシュナ僧団に入ることが私の自然な選択でした。私はマイソール・アーシュラムの僧長に手紙を書き、見習い僧として入団させてほしいと頼みました。しかし僧長は、マイソールではなく、ベルル・マトに行ってスワーミー・アートマスターナンダジー・マハーラージに会うようにと手紙でおっしゃいました。こうしてある晴れた日に、私は列車に乗って2日間旅し、ベルル・マトに着きました。早朝の到着でオフィスはまだ開いておらず、私は待ちました。事務所が開くと、そこにおられたスワーミーのところに行き、ベルル・マトに来た目的を話しました。彼は私の年齢を尋ねました。私が「17歳です」と言うと、彼はすぐに「立ち去りなさい。私たちは君を受け入れられません。君は未成年なのだから、私たちは警察に訴えられてしまいます」と言ったのです。しかし、私は家を出るときに、もしベルル・マトに入学を許されなかったら、ブッダガヤに行って仏教の僧侶になろうと決めていました。私はベンチに腰を下ろしました。

 

しばらくすると、若いブラフマチャーリーがやって来て、なぜそこに座っているのかと尋ねました。私の話を聞くと、彼は「しばらくそこで待っていなさい」と言い、スワーミー・アートマスターナンダジー・マハーラージのところへ行き、少年が待っていると伝えてくれました。するとマハーラージご自身が出てきて、私を見るとすぐに強く抱きしめ「あなたが来てくれてとても嬉しいです」とおっしゃいました。私はびっくりしました。後に、彼が1か月前にバンガロールを訪れた際に公開集会で「ラーマクリシュナ僧団に僧侶として参加したい若者はいますか。興味があれば、ベルル・マトに来てください」と群衆に話しかけた、ということを知りました。こうして私は留まり、多くのインドのセンターで奉仕し、後にシンガポールに派遣されました。オーストラリアの責任者になる予定だった74歳のスワーミー・シュリダラーナンダジーは、ベルル・マトの本部に、彼の補佐のために私をオーストラリアに派遣するよう要請しました。これが私の簡単な紹介です。

 

さて、オーストラリアとニュージーランドにおけるヴェーダーンタ運動についてお話ししたいと思います。

 

オーストラリアは、ヴェーダーンタが本格的に浸透し、広がりつつある国のひとつです。他の国と違い、オーストラリアでは、ヴェーダーンタのような新しい思想に対して多くの抵抗がありました。オーストラリアでは、197071年まで、白人だけが移住を許されていました。しかし、それよりずっと前に、ヴェーダーンタの種は蒔かれていたのです。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは「目に見えず、耳にも聞こえない露が、最も美しいバラを咲かせるように、ヴェーダーンタの働きがある」とおっしゃいました。1894年頃、シュリー・ラーマクリシュナの直弟子のひとりであるスワーミー・シヴァーナンダジー・マハーラージがスリランカに行き、多くのヨーロッパ人を惹きつけました。彼はバガヴァッド・ギーターやその他の聖典の勉強会をよく開きました。ヨーロッパ人のひとりにエルシー・ピケットという女性がいました。スワーミー・シヴァーナンダは彼女にハリプリヤという名前を与え、オーストラリアとニュージーランドに行って、そこでヴェーダーンタの教えを広めるように言いました。彼女はオーストラリアとニュージーランド中をまわって、ヴェーダーンタの勉強会を開きました。

 

その後、1904年頃、ニュージーランド出身の詩人でブランチ・ボーガンという名の別の女性信者がサンフランシスコに住んでいました。彼女はスワーミー・プラカーシャナンダジーに励まされ、母国に戻ってヴェーダーンタの教えを広めるように言われました。彼女は女性の権利に非常に熱心でした。彼女はニュージーランドに戻り、オーストラリアのいくつかの地域を旅しましたが、ニュージーランド南部のクライスト・チャーチに落ち着きました。そこで彼女は女性囚人のもとで働き、ヴェーダーンタについて話をして自立するよう励ましたのです。彼女は偉大な社会改革者、偉大な詩人として知られていました。後に彼女はクライスト・チャーチにアーシュラムを設立し、改心した女性囚人を受け入れ、道徳的、霊的的支援をしました。彼女は1957年に亡くなり、残念ながらそれ以降のアーシュラムについては何も知られていません。

 

1908年、シスター・アバヴァーニーヤという女性がニューヨークにいました。彼女のクリスチャンネームは分かりません。スワーミー・アベダーナンダジーは彼女にイニシエーションを与え、オーストラリアとニュージーランドでヴェーダーンタのメッセージを広めるように求めました。彼女はもともとスウェーデン出身でした。このように早い段階から、ヴェーダーンタの種は蒔かれていました。

 

1920 年代初頭、ジェームズ・ウェールズという男性がシドニーに住んでいました。本業はレンガ職人でしたが、酒を飲んだり、他の悪習慣もありました。彼は自分の誕生日に、同居の妹とちょっとした誕生日パーティーを開こうと、食料品とビールを買いに行きました。さて、道を歩いていると、古い本屋がありました。彼は本棚に、スワーミー ヴィヴェーカーナンダの『ラージャ・ヨーガ』という本を見つけました。突然「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ」という名前が頭の中に何回か響きました。彼はその本を買いましたが、ビールは買わず、誕生日パーティーもしませんでした。彼は、これこそが人生で探し求めていたものだ、と感じました。彼は、この本に書かれているような人生をぜひ送りたいと、マヤヴァティ・アーシュラムの僧長に手紙を書きました。その手紙はスワーミー・シヴァーナンダジー・マハーラージに転送されました。シヴァーナンダジーは手紙でベルル・マトに来るようにおっしゃいました。それは1924年のことです。

 

スワーミー・ブテシャーンダジーは、ジェームズ・ウェールズに会ったことがあるとよくおっしゃっていました。彼は、1927 年にラーマクリシュナ僧院の最初の定例会の集合写真に写っていた中の 1 人です。彼はブラフマチャーリーの誓願をしましたが、しばらくして健康を害し、そこに留まることはできなくなりました。スワーミー・シヴァーナンダジーが「祖国に帰って僧侶の生活を送りなさい」と言うと、彼はオーストラリアに戻り、そこで素晴らしい僧侶の生活を送りました。彼は地域社会で「聖人」というあだ名で呼ばれていました。老女や未亡人が食料品を買うのを手伝ったり、ヴェーダーンタを教える小さなグループも立ち上げました。ジェームズ・ウェールズ氏は1954 年に亡くなりました。

 

スワーミー・ランガナターナンダジーは1959年に日本を訪問した後、初めてオーストラリアに来ました。そこで彼はヴェーダーンタについての講演を始めました。こうして、少数の人々がヴェーダーンタに興味を持つようになりました。ランガナターナンダジーは1969年までオーストラリアに戻ることはありませんでしたが、それ以降は1983年まで毎年オーストラリアを訪れ、シドニーやオーストラリアの他の場所で講演やリトリートを開催しました。信者たちはオーストラリアにラーマクリシュナ僧院のセンターを作ることに非常に興味を持っていたのですが、当時のラーマクリシュナ僧院はそこに支部センターを置く準備ができていなかったので、マハーラージはサーラダー・マトにオーストラリアにセンターを設立するよう依頼しました。1978年、アジャヤープラーナー・マタジ尼がそこを訪れ、6か月間滞在した後、そこにセンターを設立できると感じたので、1983年からオーストラリアに永住しました。彼女はオーストラリアの他の都市にも旅して、シュリー・ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダ、ホーリー・マザーのメッセージを広めました。

 

フィジーにいたスワーミー・ダモダラーナンダジーは、1979年以降オーストラリアを訪れるようになりました。彼は主に、フィジーからオーストラリアに移住した人々と交流していました。こうして、オーストラリアのさまざまな場所に小さなグループができました。ダモダラーナンダジーは、私たちの僧団のスワーミー方、例えばスワーミー・ブテシャーナンダジー、ランガナターナンダジー、スマラナーナンダジー、シュリダラーナンダジー、ジャガダットマーナンダジーを招待し、彼らがフィジーに行くたびに、オーストラリアとニュージーランドにも招待したのです。オーストラリアとニュージーランドでヴェーダーンタのメッセージを広めることに対するスワーミー・ダモダラーナンダジーの貢献は計り知れません。1993年と1999年には、彼はスワーミー・シュリダラーナンダジーをフィジー、オーストラリア、ニュージーランドに招待しました。オーストラリアの人々はスワーミー・シュリダラーナンダジーに非常に惹かれました。そこで信者たちはベルル・マトにシュリダラーナンダジーをオーストラリアに派遣するように切に願いました。ベルル・マト当局は最終的に彼らの呼びかけに応じたので、2000年のオリンピック後にシュリダラーナンダジーはシドニーに赴任したのです。

 

その5か月後、私も加わりました。最初、シュリダラーナンダジーはある信者の家に滞在していましたが、その後、ヴェーダーンタ協会のために家を借り、講堂でさまざまな講義を行うようになりました。

 

すべての始まりは、多くの試練と苦難に満ちています。スワーミー・シュリダラーナンダジーは、インドのラクナウにある非常に大きなセンターの僧長を40年近く務め、74 歳のときにオーストラリアに派遣され、非常に厳しい生活を送られました。彼の身長は6フィート[約183㎝]、体重は約120kgでしたが、提供されたベッドは彼の身長よりも小さいものでした。しかし、彼はこうしたすべての苦難を気にしませんでした。当時、私は彼のために料理を作っていたのですが、私たちはほぼ 11 食しか食べることができませんでした。

 

25年前、オーストラリアはまだ多民族、多文化の国ではありませんでした。当時は、褐色の肌の人々に対する抵抗が大きかったのです。例えば、私たちの隣人の一人が、この場所に褐色の肌の人々が大勢やって来て歌ったり踊ったりしている、と地元当局に苦情を言ったこともありました。そこで私たちは地元の市長のところへ行き、大声で歌ったり踊ったりするためにここに来たのではないと説得しなければなりませんでした。2002年に私たちは家を買ってそこに引っ越しましたが、そこでも反対されました。しかし、スワーミー・シュリダラーナンダジーの魅力的な人柄のおかげで、人々は彼に近づき始めました。彼はメルボルン、パース、アデレードなどの他の都市を毎月訪問し、そこでも勉強会を行うようになりました。私はブリスベンに行って毎月勉強会を行うように頼まれました。これらの結果で、信者のあるグループは2007年にメルボルンに家を購入し、パースの別のグループは2008年に教会を購入しました。2008年にはブリスベンにも家を購入しました。

 

スワーミー・シュリダラーナンダジーは2002年以降ニュージーランドを訪問し始め、2007年にはアーシュラムのためにオークランドに家を買いました。このようにして、ラーマクリシュナのメッセージとヴェーダーンタのメッセージはラーマクリシュナ僧院とサーラダー・マトを通じて広まっています。2007年にはシドニーでより大きな場所が購入され、アーシュラムはそこに移転しました。2015年には、ブリスベン・センターのために50エーカー(約61万坪)の土地が寄付されました。

 

私たちのアーシュラムがあるこの場所自体が、奇跡のようなものです。そこは約40,500 エーカーの土地です。スワーミー ヴィレシュワラーナンダジーの弟子であるマハー・シナサンビーというシュリー・ラーマクリシュナの信者は、スワーミー・ランガナターナンダジーと非常に親しい方でした。興味深いことに、彼の父親は僧侶になりたかったので、実際にスワーミー ヴィラジャーナンダジーの最初の弟子になりました。シナサンビー氏はエンジニアでしたが、パースで都市開発をするようになりました。彼は常に大規模なことをしたいと願っていました。そのため、パースで都市開発をするようになり大金を稼ぎました。しかし残念ながら、彼は持っていたものをすべて失い、ブリスベンに移りました。

 

彼は政府のために働き始めました。しかし、都市開発の夢が彼の頭の中で形になり始めていました。それで、この広大な森が広がる土地が売りに出されるという新聞広告を見て、銀行に借金をして土地を購入しました。しかし、この場所を都市開発する予定の主な建設業者にこのことを話すと、彼らは不満でした。彼らは、ブリスベンがこんなに近くにあるのに、なぜブリスベンから車でわずか20分のところに都市を作るのか、と言うのです。ローンの最初の支払いは翌週に期限が来ていましたが、この会議で、彼にはどうしようもできないことがわかり、本当に疲れ果ててしまいました。そこで、妻と一緒に祈りと休息のためにその週に出かけました。持っていたものをすべて失うことを心配していたからです。

 

しかし、ものすごい奇跡が起こりました。その場所の開発を引き受ける予定だった会社の会長が日曜日に電話をかけてきて、彼に電話を求めました。彼の娘は、会社の会長が月曜日の朝にメルボルン空港のエグゼクティブ・ラウンジでシナサンビー氏に会いたいと言っているというメッセージを伝えました。会長は「いいかい、マハー、私のコンサルタントはこのプロジェクトは引き受けられないと言った。だが、私の心のどこかが、これは成功すると言っている。だから先に進めてくれ。私がローンの最初の支払いをするので、再交渉しよう」と言いました。

 

そのようなことから、マハー・シナサンビー氏は、この計画を成功させたのは神のご意志です、と言いました。それから、越えなければならないもう一つの大きなハードルがありました。クイーンズランド州政府によるこの開発の実施を認める決議の可決が必要だったのです。しかし、ブリスベンのすぐ近くに新しい都市を建設することを誰が認めるでしょうか? それでも奇跡的に、国会議員全員がこの計画に賛成票を投じました。反対票を投じた者は一人もいませんでした。このような経緯から、マハー・シナサンビー氏は土地を手に入れたときに、そのうちの50エーカーをシュリー・ラーマクリシュナとホーリー・マザーに捧げることに決めました。

 

しかし、さらなるハードルが私たちを待ち受けていました。この土地は2015年に寄付されたのですが、私たちは政府に[贈与税として]85万ドルを支払うよう求められました。しかし、どこからそんな大金を調達できるでしょうか? そこで、私たちは友人の一人を訪ね、税務署長に会い、長い苦労の末、この税金を免除してもらいました。その後も、別の問題がありました。地方自治体から請求書が送られてきて、地方税として毎年25万ドルを支払うよう求められたのです。私たちはいろいろ手を尽しましたが全くうまくいかなかったので、訴訟を起こすことにしました。すると奇跡的にこの地方税も支払わなくていいことになりました。

 

ここでもう一つの出来事について触れておきます。引き渡し式の前に地鎮祭が行われることになっていたので、私たちは土地の一部をきれいにしていました。木々を伐採したり、土地を掘る作業も必要でした。

 

すると、あるイスラム教徒の紳士が「ブルドーザーを持っているので、木を全部伐採して土地を掘り起こしておきます。お金はいただきません」と言いました。彼は土地を掘り起こして、そして立ち去りました。また、地鎮祭は323日に行われることになっていたのですが、20日は土砂降りで、土地全体が水だらけになり、もうどうしたらよいか分かりませんでした。バケツを使って水を全部排除しようと信者の一人がバケツを取りに家に帰ったとき、森の中から一人の男性が近づいて来て、何をしているのかと尋ねました。私たちが問題を話すと、彼は「私にやらせてください」と言いました。彼は大きな鍬(くわ)を持って来て、数時間で水を全部排除してくれ、そのまま帰りました。私たちは彼が誰で、どこから来たのか知りませんでした。このような出来事は他にもたくさんありました。それらは私たちが実行者ではなく、シュリー・ラーマクリシュナご自身がなさっていることを示すものです。

 

2009年、この50エーカー(約61万坪,20.23ヘクタール)の土地にアーシュラムを作り、寺院、教育機関、そして高齢者向け居住地区の一部として約256軒の住宅を建設する基本計画書が策定されました。私たちは今もその計画に取り組んでいます。

 

スワーミー・シュリダラーナンダジーは次のようなヴィジョンをお持ちです。それは、世界文化文明研究所を設立し、そこで世界中の人々が音楽、舞踏など文化のさまざまな側面について研究するのです。ヴェーダーンタのメッセージを広げ、指導するとともに、私たちのセンターではカルマ・ヨーガの奉仕活動も行っています。シュリー・ラーマクリシュナはよく「お腹がすいている人に宗教を説いてはいけない」とおっしゃっていました。ブリスベンには、ホームレスの人や自分で食事を作ることができない人がたくさんいることが分かったので、私たちは炊き出し所を始めました。そこでは週に一度、300食を作って無料で配給しています。食事を調理し、パックに詰めて冷凍し、それを配布する機関に一部を渡します。私たちが1週間分の食料を渡している家族も1012家族あり、彼らも調理した食事を受け取ります。食事の準備はすべて信者のグループが行っています。

 

毎週土曜日には、マー・サーラダー・キッチンを運営しています。食べ物を用意して、非常にリーズナブルな価格で販売し、それが私たちのアーシュラムの運営に役立っています。通常は、イドゥリ、ドーサ、サンバルなどのベジタリアン料理を作っています。午前 5 時にやって来て準備を始める信者もいて、午前 10 時までにすべて準備が整います。これは非常に人気があり、土曜日には約 100150の家族が食事に訪れ、食べ物を家に持ち帰ります。私たちは毎週金曜日と土曜日にこの二つの定期的なプログラムを行っています。その利点は、金曜日には多くの年配の方々が来ることです。彼らにとって、家から出て野菜を切ったり、料理をしたりする良い時間になっています。彼らは一緒に仕事をして楽しんで、とても幸せな気分で家に帰ります。

 

これらの活動に加えて、私たちは信者のためにバガヴァッド・ギーターやその他の聖典クラスを週3回、開いています。私は月に1回、他の場所で勉強会を開いています。

 

シドニーにはスワーミー・シュリダラーナンダジーがおられます。99歳ですが、体調が良ければいつでもバガヴァッド・ギーターの勉強会を受け持たれています。今はあまり体調が良くありませんが。メルボルンとアデレードに一人ずつスワーミーがいて勉強会を開いています。パースにはスワーミーはいませんが、シドニーから定期的にスワーミーが行って勉強会を開いています。シドニーには2年ほど前に設立された教育機関もあります。

 

先進国が現在直面している大きな問題の一つで、多くの親たちの心配の種となっているのは、自殺者数の増加です。そこで私たちはその問題に取り組もうとしています。私たちは「Power of Us(私たちの中にある力)」というプロジェクトを始めました。これは若者同士で話し合いができる自殺防止の会です。自殺防止の活動をしているのです。

 

私たちは、学校の生徒に瞑想を教えることにも取り組んでいます。学校で瞑想セッションを実施し、それが生徒たちに大いに役立っています。学校の先生が私たちのもとを訪れ、私たちが生徒たちの心の健康管理の方法について教えることもあります。私たちは、学校の生徒にいくつかの簡単な瞑想テクニックを紹介しました。

 

また、毎週金曜日にはカイロプラクティックも開催しており、数名の施術者が無料でサービスを提供しています。また、ヨーガのレッスンも行っており、こちらも無料で受講できます。バンガロールのヴィヴェーカーナンダ・ヨーガ大学の指導のもと、ヨーガ学会も開催してきました。私たちがすべての信者や信奉者に伝えようとしているメッセージは、バガヴァッド ギーターの素晴らしい詩に耳を傾けることです。

 

ウッダレード アートマナートマーナン ナートマーナン アヴァサーダイェート/

アートマイヴァ ヒ アートマノー バンドゥル アートマイヴァ リプル アートマナハ//

 

人は自分の心で自分を向上させ、決して下落させてはいけない。

何故なら、心は自分にとっての親友であり、かつまた同時に仇敵でもあるからだ。6.

 

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忘れられない物語

 

「牛乳に内在しているバターの話」

 

ある若い娘は、都会の住まいから村の実家へ初めて帰省した。夜、寝る前に、母親は上等な牛乳の入った鍋を開け、バターミルクを少し注いだ。

 

少女は母親に尋ねた。「お母さん、あれはバターミルクでしょ。なぜ牛乳と混ぜたの?牛乳が腐るかもしれないのに!」 母親は答えた。「わが子よ、これは牛乳からバターを取り出すための準備なのよ」 「でも、どこにバターが入っているの、お母さん?」 「牛乳の一滴一滴にバターが入っているの。でも今は見えないわ。明日の朝、見せてあげるわね」

 

翌朝、娘は昨晩には液体だったものが一晩で固体になっているのを見た。母親はかき混ぜ棒をその中に入れ、凝乳を激しくかき混ぜ始めた。バターが凝乳の表面に浮き始めた。それから母親はそれを全部集めて、娘を驚かせた。

 

母親は説明した。「バターミルクを加えると、牛乳が凝固するの。牛乳が凝乳に変わったら、かき混ぜます。そうすると、牛乳全体にあるバターが取れるの。最初はバターが見えなかったわね、それは隠れていたからよ。バターはどこから来た? 牛乳からだけでしょ。つまり、バターはずっとそこにあったのよ、もう分かったでしょ。バターはかき混ぜるという工程を経て現れ、あなたを大喜びさせたの」

娘も同じ工程で、自分でバターを作った。

 

同様に、世俗的な男がマハートマーに近づいて尋ねる。「サドゥ、なぜあなたは世俗を捨て、ヴァイラーギャ[離欲]とテャーガ[放棄]という新しい要素をあなたの人生に注ぎ込んだのですか?なぜ人生を自然な流れに任せないのですか?」

 

サドゥは答える。「兄弟よ、私は神を悟るためにそうするのです」 「神はどこにいるのですか」 「神は遍在しています」 その世俗的な男は理解も納得もしない。そこでサドゥは、移ろいやすく外に流れ出てしまう内的人格を、いかにして固く揺るぎないものにすべきかを説明する。「一点集中と瞑想というかきまぜ棒を握り、この堅固なアンタッカラナ[内なる器官]を非常によくかき混ぜなければなりません。そうすれば、神が悟られます。神は、創造物のあらゆる原子に遍在しています。しかし、神は肉眼では見えず、サーダナー[霊的修行]と呼ばれるこの過程を経なければ、悟ることはできないのです」

 

牛乳の中にバターがあり、かき混ぜるとバターが出てくることを娘に教えるには母親が必要なように、神が存在し、遍在であり、サーダナーを通して神に到達できることを知るにはグルが必要である。求道者がグルの教えに従えば、神を悟ることができる。

 

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今月の思想

 

「パヴァリ・ババはスワーミー ヴィヴェーカーナンダに『犬のようにグルのドアの前に横たわりなさい』とおっしゃったのだよ。スワーミージーはこの言葉を何度も私たちに繰り返されたものだ。犬は、餌を与えられても与えられなくても、主人が殴っても優しくても、主人の家を出てどこへも行かないように、人は完全に神に身をゆだねなければならない。神の御足元に避難し、どんな状況でも最後まで従う者は、確実に神の恩寵を得るだろう。心配する必要はない。あなたたちは神の元に避難したのだから… 師がよくおっしゃっていたように『父親に手を握られている子供は落ちることを恐れない』のだよ。師があなたを救ってくださることを確信しなさい…」

…スワーミー・シヴァーナンダ

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