今月のニュースレター

 

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ヴェーダーンタ協会ニュースレター(日本語版)

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

2024年5月 第22 巻 第5号

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かく語りき――聖人の言葉

 

この世において、憎しみが憎しみを鎮めることはない。

愛だけが憎しみを鎮めることができる。

この法則は永遠に変わらない。

あなたもいつか死ぬ。

それを知っているになぜ争うのか。

…お釈迦様

 

神を悟ったしるしの一つは歓喜だ。その人は歓喜の波が打ち寄せる海のようで、まったく淀まない。

だがね、表層の奥深くには深い静寂と平安があるのだよ。

…シュリー・ラーマクリシュナ

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目次

・かく語りき――聖人の言葉

・お知らせ

・2024年7月の生誕日

・2024年4月 月例会

・シュリー・ラーマチャンドラ:理想的な人物

スワーミー・ディッヴィヤーナターナンダ

・2024年4月14日 福岡サットサンガ 

内山佐和子さんのレポート

・忘れられない物語

・今月の思想

 

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お知らせ

・各プログラムに参加を希望される方は、協会までご一報ください。

・日本ヴェーダーンタ協会の行事予定はホームページをご確認ください。

https://www.vedantajp.com/

 

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2024年7月生誕日 

ヴィッシュダ・シッダーンタ(Vishuddha Siddhanta)暦では、2024年 7月に生誕日はありません。

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2024年4月21日 4月月例会

シュリー・ラーマチャンドラ:理想的な人物

スワーミー・ディッヴィヤーナターナンダ

 

皆さんもご存知のとおり、ラーマクリシュナ僧院の支部センターのほとんどすべてで、エカーダシーの日にラームナーム・サンキールタナムを歌います。夕方に、ラーマ、シーター、ハヌマーンの絵の前で小さな儀式を執り行い、僧侶と信者がキールタンを歌うのです。ラーマクリシュナ僧院の初代僧長スワーミー・ブラフマーナンダジー・マハーラージがこれを始め、他の支部センターも徐々にそれに倣うようになりました。

 

シュリー・ラーマクリシュナの父、シュリー・クディラム・チャットパーディヤーヤの先祖代々の家はデーレー村にありました。シュリー・ラーマチャンドラの別名であるラグヴィールは彼らの家神でした。クディラムの神への信仰は非常に深いものでした。ご存じのように残念な事件により故郷の村を離れなければならなくなったとき、家神ラグヴィールに完全に帰依していたクディラムは、先祖から受け継いだ土地と家を離れ、友人のスクラール・ゴースワミーの招待でカマルプクルに定住しました。

 

シュリー・ラーマクリシュナがさまざまな道と信仰の修行をしていたとき、彼は家神ラグヴィールを思い出し、その神聖な姿のヴィジョンを得たいと思い、心魂を込めてその姿を礼拝し、瞑想し始めました。ある日、彼がパンチャヴァティに沿って歩いていると、シーターデーヴィが自分の体に溶け込むというヴィジョンを見ました。

 

さて、ラーマーヤナの物語を簡単にお話します

 

ヴァールミキという名の聖者がいました。彼は霊的修行を通じて極めて高い境地に達しました。ある日、聖仙ナーラダが彼の庵にやって来ました。ナーラダはヴィシュヌ神の熱心な信者でした。ヴァールミキは「想像しうる限りの、そして聖典に記されている神聖な性質をすべて備えた理想的な人物が存在するのでしたら教えてください」と言いました。そこでナーラダはヴァールミキに、アヨーディヤーの王ダシャラタの息子である『ラーマ』について語って聞かせました。ブラフマー神はヴァールミキに特別な力を与え、ラーマの物語を全人類に広めるように言いました。こうして、ラーマの生涯と行いを描いた偉大な叙事詩、ラーマーヤナが生まれたのです。

 

アヨーディヤーを首都とするコーシャラ国のダシャラタ王は、強力な王でした。子供がいないことを残念に思っていた彼は、アシュワメダー・ヤッギャ(馬祀祭)とプトラカメスティの儀式を催しました。これらの手の込んだ犠牲供養と儀式は、子供の誕生を祈願する人々が行っていたものです。供儀が無事に終わると、神が彼の前に現れ、王妃に食べさせるミルク粥の入った椀を渡しました。ダシャラタ王には、カウサリヤー、スミトラー、カイケーイーという 3 人の王妃がいました。王妃たちがその神聖な食べ物を食べると、ラーマ、ラクシュマナとシャトルグナ[双子]、バーラタ、が生まれます。彼らは両親の愛情深い世話を受けて成長しました。

 

ある日、聖賢ヴィシュヴァーミトラがダシャラタ王の宮廷にやって来ました。ヴィシュヴァーミトラは犠牲供養をしようと計画していました。しかし、羅刹マーリーチャとスバーフの邪魔立てで犠牲供養の祭祀を終わらせられないのではないかと恐れていました。そこで、助けを求めてダシャラタ王のもとにやって来たのです。ヴィシュヴァーミトラはダシャラタ王に「私と仲間の行者たちを羅刹たちから守るために、どうかラーマの同行をお許しください」と願いました。ラーマはまだ若すぎたので、最初ダシャラタ王は躊躇しましたが、ダシャラタ王の家師である聖仙ヴァシシュタの助言を受けて、同意することにしました。ヴァシシュタは、次のようにそれがラーマにとても良いことになるだろうとダシャラタ王に保証しました。「ラーマはヴァイシュヴァーミトラのもとで人生の教訓を学び、森の中で行者たちの生活を目にします。若いうちに苦行を積めば霊的に強くなるだろうし、この聖者はラーマに弓術や他の武器についても教えるでしょう。さらにラーマはヴィシュヴァーミトラの祝福も得るでしょう」 ダシャラタ王が同意したので、ラーマは弟のラクシュマナを伴ってヴィシュヴァーミトラと旅立ちました。サラユー川のほとりで、ヴィシュヴァーミトラは彼らに聖なるマントラを授けました。

 

彼らはさらに南へ、森の奥へと進みました。ヴィシュヴァーミトラは彼らにターラカーという女羅刹の存在を伝え、彼女を殺すように言うと、ラーマはターラカーを殺しました。翌日、彼らは別の場所に来ました。ヴィシュヴァーミトラはラーマに様々な武器を与えました。ヴァイシュヴァーミトラの望みで、神々が降りてきて、さまざまな他の武器を授けました。ラーマは「私が心に思うとき、必要なときは、すぐに来てください」と祈りました。

 

その後、ヴィシュヴァーミトラが供儀を始めました。すると女羅刹ターラカーの息子マーリーチャと他の息子たちが妨害しだしたので、ラーマとラクシュマナは彼らを打ち負かしました。こうしてヴィシュヴァーミトラの供儀は無事に完了しました。ヴィシュヴァーミトラの指導の下で、ラーマは弓術やその他の武器を学んだだけでなく、インドの聖典やインドの豊かな文化の伝統についても学びました。

 

供儀の後、ヴィシュヴァーミトラと共に、彼らはジャナカ王が統治していたミティラー王国に到着しました。ジャナカ王の宮殿には、彼が先祖から受け継いだハラダヌという大きな弓があり、その弓は神々から授かったと言われていました。それは非常に重く、誰も持ち上げることさえできませんでした。ジャナカ王は「この弓を持ち上げて弦を張れる者に、娘シーターとの結婚を認める」と宣言していました。ラーマの前にも多くの王がミティラー国にやって来ましたが、誰も弓を持ち上げることができませんでした。ヴィシュヴァーミトラの命令で、ラーマは軽々とその弓を持ち上げました。弦を引こうとすると弓は二つに砕けました。そこで、ラーマはシーターを妻とし、彼女をアヨーディヤーに連れ帰りました。アヨーディヤー王国で正式な結婚式が執り行われました。ジャナカ王の他の娘たちは、それぞれラクシュマナ、バーラタ、シャトルグナと結婚しました。

 

ダシャラタ王は高齢であったため、引退して、王国を率いるのにふさわしいラーマを皇太子に任命することにしました。しかし、ラーマの塗油の儀式の前日に、ダシャラタ王は末妻カイケーイーから、ずっと前に交わした約束を思い出させられました。彼女は二つの恩恵を求めました。ラーマを14年間森に追放することと、息子のバーラタを皇太子に任命することです。ダシャラタ王がショックを受けたのは当然です。愛する子供に、追放の身となり森で暮らすようになど言えるでしょうか?

 

しかし、ラーマはこのことを知っても少しも動揺しませんでした。彼は、父が約束を守れるように、弟のバーラタに王位継承者の地位を譲り、出て行く覚悟を決めました。妻のシーター、ラーマの忠実な弟のラクシュマナも同行することにしました。ラーマ、シーター、ラクシュマナは富をアヨーディヤーの人々に授け、森へ向かいました。

 

ダシャラタ王とその年長妻カウサリヤーと王国全体が、愛するラーマ、シーター、ラクシュマナの追放を想い、深い悲しみに暮れていました。アヨーディヤーの住民はラーマと離れることができず、ラーマと共に森の奥深くまで行こうとしました。するとラーマは彼らに、「戻ってバーラタが王国を治めるのを手伝っておくれ」と熱心に言いました。バラモンの僧侶たちはラーマと共にいるつもりでしたが、ラーマは彼らにも戻るよう説得しました。

 

出発の際、ラーマは父に、「若い妻カイケーイーを見捨てないでください」と頼みました。ダシャラタ王が彼女をよく扱わないのではないかと心配したからです。カウサリヤー妃には、「どうか父にひどいことを仰らないでください」と懇願しました。このこともラーマの偉大さを示しています。数え切れないほどの苦しみを自分にもたらす人々に対しても、ラーマは限りない慈悲を示しているのです。

 

これらの出来事が起こっているとき、バーラタは王国を離れていました。王国に戻って何が起こったのかを知ったバーラタは衝撃を受けました。彼はすぐに森へ入ってラーマに会い「どうかお戻りください」と懇願しました。しかし、ラーマは愛情を込めて「お戻りなさい」と言いました。バーラタは兄ラーマの「パドゥカ」というスリッパをアヨーディヤーに持ち帰って王座に置き、ラーマの代理人として王国に仕えました。

 

ラーマはラクシュマナ、シーターとともに森の奥深くへ進み、多くの聖者の庵を訪ね、10年後にダンダカの森のパンチャヴァティに定住しました。その森には醜い女羅刹スルパナカーが住んでいました。彼女はラーマの美しさに魅了され、結婚を申し込みました。ラーマの命令を受けて、ラクシュマナは彼女の鼻を切り落としました。怒りと後悔で激怒したスルパナカーは、兄ラーヴァナのもとに行き、「この復讐をしてください」と要求しました。さて、スルパナカーはラーヴァナが女狂いであることを知っていたのでラーヴァナに「シーターは本当に美しいですよ」と誉めそやしました。妹からシーターのことを聞いたラーヴァナは、復讐のためというよりも執心のために、シーターを誘拐することにしました。

 

ラーヴァナは、[先述の]羅刹マーリーチャに助けを求めました。しかしマーリーチャは「シーターを誘拐すれば災厄を招きますよ」と警告しました。しかし、ラーヴァナは断固としてこの忠告に従いませんでした。マーリーチャはシーターを捕まえるために、金色の鹿の姿に化けてシーターをおびき寄せました。シーターはラーマに「あの鹿を捕まえてください」と懇願しました。ラーマは遠くまでその鹿を追いかけて、殺しました。死に際に[鹿に化けた]マーリーチャはラーマの声を真似て、「ああシーター、ああラクシュマナ!」と叫びました。シーターはその声を聞いて恐怖に陥りました。シーターはラクシュマナに「行って何が起こっているのか見てきてちょうだい」と頼みました。危険を恐れたラクシュマナは、家の周りにチョークで円を描き、シーターに「この円の中にいれば安全なので、この線を越えないでください」と頼みました。

 

今やシーターは完全に一人ぼっちになりました。ラーヴァナはこの機会を捉え、托鉢修行僧に変装してやって来て施しを乞いました。シーターが施しをしている最中に不注意からラクシュマナが引いた境界線を越えてしまったとき、ラーヴァナはシーターを誘拐しました。シーターはどうすることもできませんでしたが、道すがら、ラーマが自分が連れて行かれる方角が分かるように、身に着けていた宝飾品を道に投げました。

 

さて、ラーマーヤナで重要な役割を果たすハヌマーンについてお話ししましょう。ハヌマーンは、その素朴な純粋さ、ラーマ神への純粋な信仰と強靭な肉体の強さから、インド人の心を捉えて離しません。彼は生涯独身でした。ハヌマーンはアンジャナデーヴィの息子で、風の神ヴァーユデーヴァの恩寵で生まれました。

 

当時、ヴァナラ族と呼ばれる部族がいました。彼らはアーリア人とは異なり、身体的特徴も少し異なっていました。彼らはキシュチンダー王国を統治していました。キシュチンダーの王族であるスグリーヴァは、兄のヴァーリによって王国から追い出されていました。ハヌマーンはスグリーヴァの仲間の一人でした。

 

ラーマとラクシュマナがシーターを探してインド各地を旅していたとき、二人はスグリーヴァが追放されて滞在している場所に着きました。スグリーヴァは遠くから二人を見つけ、二人が誰なのかを調べるために、ハヌマーンを送りました。ラーマは、ハヌマーンの丁寧な態度と上品な話し方に非常に感銘を受け、ハヌマーンもラーマの内面的な性格に感銘を受けました。そしてハヌマーンは正体を明かし、二人をスグリーヴァのいる場所に連れて行きました。スグリーヴァは王国を取り戻したいと考え、ラーマはシーターを探すのに協力を求めていました。両者は友情を築きました。

 

スグリーヴァは、シーターを見つけるのを手伝うために、ヴァナラ族の仲間を四方八方に派遣しました。ハヌマーンは南に送られました。ハヌマーンはラーマの名を唱えながら、大きく跳躍して海を渡りランカ島に到着しました。ハヌマーンがそこでシーターを探していると、アショカの森で彼女を見つけました。彼女に会うと、ハヌマーンはラーマの指輪を彼女に手渡しました。ランカ島の羅刹たちはハヌマーンを見つけると捕まえようとして、多くの苦闘の末、ついに捕まえることができました。彼らはハヌマーンを縛り、ラーヴァナの宮廷に連れて行きました。ハヌマーンは実はラーヴァナに会いたかったのです。ハヌマーンはシーターを誘拐したラーヴァナを叱責しました。羅刹たちはハヌマーンの尻尾に火をつけました。ハヌマーンは逃れてランカ島中を飛び回り、その火をラーヴァナの領土全体に広げました。ついにハヌマーンはラーマのもとに戻り、シーターの無事を知らせました。ラーマはスグリーヴァに、ランカ島に向かう準備を軍隊にさせるように命じました。

 

ヴィビーシャナはラーヴァナの弟でした。彼はラーヴァナに、シーターをラーマの元に返すよう懸命に説得しましたが、無駄でした。最終的に、彼はラーヴァナの側を離れ、ラーマのもとに避難しました。ラーマは彼と友情を築きました。

 

海に橋が架けられ、それを使ってラーマ、ラクシュマナ、ヴァナラ軍が進軍しランカに到着しました。最初、ラーマは戦争や流血を避けようとしました。彼はラーヴァナに妻を返すよう冷静に求めたにもかかわらず、ラーヴァナが断固として拒否したので戦争が起こりました。その戦争中、ラーマはさまざまな障害に遭遇しました。あるときラクシュマナはラーヴァナの息子メガナートのシャクティミサイルで意識を失いましたが、サンジヴァニという薬草を取ってきたハヌマーンの助けで、治りました。

 

最終的に、その戦争でラーヴァナは殺され、シーターはラーマと結ばれました。ラーマはヴィビーシャナをランカの王位に就かせ、シーターとラクシュマナを連れてアヨーディヤーに戻りました。その時までに、14年間の追放期間は終わっていました。ダシャラタ王はラーマに対する悲しみのあまり、何年も前に亡くなっていました。バーラタはラーマたちが戻ってくるのをずっと待っていました。ラーマはアヨーディヤーの王に即位しました。

 

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ここで、ラーマの性格に関するいくつかの特徴について話しましょう。

 

彼はさまざまな武器、特に弓術に長けていました。聖典だけでなく文学や音楽の知識も豊富でした。しかし、これほど多くの資質を持ちながらも、謙虚で愛情深く、親しみやすい人物でした。

 

ラーマのもう一つの名前はプルショッタマつまり、もっとも偉大であらゆる神聖な性質を備えている人間です。ダルマを確立し、真実に従うことがラーマの人生の主眼でした。ラーマは、父親が約束を守れるように国を出る決意をしました。

 

彼は隠者として森に住んでいましたが、クシャトリヤ階級[戦士の階級]だったので、聖者たちを邪魔する羅刹たちを殺すことを厭いませんでした。同じ理由から、ラーマはヴァーリも殺しました。

 

ラーマは皇太子になる機会を放棄し、弟のバーラタに王座を譲りました。しかし、その一方で、バーラタは兄ラーマをとても尊敬し、愛していたので、自分が王座に座る代わりに、ラーマのスリッパを王座に置き、ラーマの代理人として王国を統治しました。

 

ラーマは忠義においても理想的でした。友情を築く際にも誠実でした。彼はスグリーヴァとヴィビーシャナとの友情を築きました。

 

ラーマは外交センスに長けていました。ヴィビーシャナがやって来て、ラーマの足元にひれ伏したとき、ラーマはヴァナラの仲間全員を呼びよせ、彼らに問題を提示しました。彼は自分の信奉者全員の合意を得たいと考えていたので、独裁者のように決定を下したくなかったからです。

 

バーラタが、ラーマを追放した母カイケーイーに怒ったとき、ラーマは彼をなだめ、母を軽蔑しないようバーラタに求めました。

 

ラーマは敵の幸福さえも気にかけていました。ラーヴァナが殺されたとき、ヴィビーシャナはラーヴァナの最後の儀式を行うことを拒否しました。するとラーマは彼を戒めて、「ヴィビーシャナが行わないなら、私が儀式を行う」と言ったほどです。

 

シーターが救出された後、長い別離の後に妻と再び会えることを思い、ラーマがどれだけ幸せだったか想像できます。しかし、ラーマは臣民の心情にも気づいていました。ラーヴァナの王国に囚われていたシーターの清らかさと貞操をアヨーディヤーの人々が疑うであろうことをラーマは知っていたのです。皆の前で薪が焚かれ、シーターが火に入ると、火の神アグニがあらわれ、シーターをラーマの元へ連れ戻し、「彼女はあなたのものです」と言いました。ラーマは再び喜びと幸せでシーターを受け入れました。

 

ジャターユは、ラーヴァナがシーターを誘拐しようとした時に彼女を救おうとした鳥です。ラーヴァナはジャターユに致命傷を与え、翼を折られたジャターユは無力に横たわり、死の床でラーマを待っていました。ラーマはジャターユに恩寵を与え、ヴァイクンタへの道を示しました。

 

低いカーストに属するシャバリという女性がいました。彼女の師はマタンガでした。マタンガはこの世を去る前に、「いつかラーマがお前のもとに来るだろう」と告げたので、シャバリはラーマを待ちました。シャバリはラーマのことだけを考えながら、11年間苦行に励みました。そしてついに、ラーマがシーターを捜しているときに、シャバリの家にやって来たのです。ラーマを見たシャバリは、ラーマに向かってこう言いました。「あなた様の私への優しいまなざしという祝福で、カルマという重荷は消え、私は今、清らかです。あなた様の恩寵(プラサード)が私に降りました。私は今、最下から世界の最高のところに行きます。

バガヴァッド・ギーター第18章62節

tam eva śaraṇaṁ gachha sarva-bhāvena bhārata

tat-prasādāt parāṁ śāntiṁ sthānaṁ prāpsyasi śāśvatam

バーラタ王の子孫(アルジュナ)よ!だから君は、その御方に全身全霊をもって帰依し服従しなさい。そうすれば、その御方の恵みにより、君は必ず永遠の妙楽土に住めるようになる。 

 

シャバリ、アハリヤ、ジャターユなど、ラーマの聖なる足元に身を委ねた信者や仲間に対してラーマは恩寵を与え、生と死の輪廻から解放しました。ヴィビーシャナに対しては、高貴な人生を送る道を示すという恩寵を与えました。ラーマはランカの統治権をヴィビーシャナに与えました。ヴィビーシャナがラーマに庇護を求めると、ラーマは悪魔や残酷なものたちから彼を解放するという恩寵を与えました。

 

ラーマは彼を受け入れる前に、すべてのヴァナラ族を会議に召集し、スグリーヴァが最高判事を務めました。ラーマは言いました。「ひとたび、人が私に身を委ねれば、その人の過去が善か悪かは問題ではありません。その人の本当の計画は隠されているかもしれません。しかし、私にとってそれは何の違いもありません。もし人が完全に悔い改め、両手を合わせて服従し、許しを請い、私の保護を求めるなら、たとえその人が以前、敵として振舞っていたとしても、私はその人を傷つけはしない」  委ねる(surrender)ことと、神の恩寵を得る、という教義は、ラーマのこの言葉の中にあります。

 

これでラーマーヤナの物語と、ラーマチャンドラ神の並外れて高貴な性格のあらすじは終わりです。

 

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2024年4月15日福岡サットサンガ 

内山佐和子さんのレポート

 

マハラージへ

 

先日はとても良い時間をありがとうございました。

写真と今回のレポートを提出いたします。

 

7時スタート

瞑想についてのお話 7時10分〜7時45分

Lotus、halflotus 又は正座で座る。

目はとじて、壁などによりかからない。

手の指の間は閉じて、手のひらは上。

対象物を決める

神聖な物(神様やイエスキリスト、仏様など…)

永遠の物 空、満月、蝋燭の炎など…

朝が好ましい。毎日同じ時間、10分〜15分程

毎日ご飯を食べる様に瞑想も同じ様に大事な事。

毎日する事に意味がある。

みなさんで瞑想 7時45分〜8時05分 20分

オームをマハラージが唱える。

チャンティングの時間 8時15分〜8時45分

朝の祈りのチャンティング、

バガヴァッド・ギーター6章10-25

みなさんでサンスクリット語で唱えた後、日本語の訳で唱える。

朝食9時〜9時40分

たまごサンド、いちご、ほうじ茶

散歩 9時45分〜10時40分

太宰橋、川の付近、観世音寺辺り〜

講話会 10時50分〜12時20分

『幸せの方法』輪廻転生とカルマの法則について

質疑応答 12時20分〜12時30分

本の販売会 12時半〜13時

13時 リトリート終了

 

ありがとうございました。

また来年もどうぞよろしくお願いします。

 

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忘れられない物語

 

ニーム・カロリ・ババの名前の由来

 

次の話は、マハーラージがニーム・カロリ(またはニーブ・カロリ)出身のサドゥーを意味するニーム・カロリ・ババとして知られるようになった理由である。

 

かなり前のこと、おそらくマハーラージが20代後半か30代前半の頃のことだ。マハーラージは、食べ物を何日ももらえなかったので空腹のまま一番近い町まで列車に乗っていこうとした。車掌はマハーラージが切符を持たずに一等車に座っているのを見つけると、非常ブレーキを引いて列車を急停止させた。しばらく言い争ったあげく、マハーラージは無理やり列車から降ろされた。列車はマハーラージが住んでいたニーム・カロリ村の近くで止まっていた。

 

マハーラージは木陰に座った。車掌が笛を吹き、機関士はスロットルバルブを開けた。しかし列車は動かない。しばらくの間、列車を動かそうとあらゆる試みがなされた。別の機関車が来て列車を押したが、すべて無駄だった。マハーラージのことを知っている片腕の土地の行政官が、あの若いサドゥーを列車に呼び戻してはどうか、と係員に提案した。係員は最初そのような迷信に嫌悪感を持ったが、列車を動かそうと何度も悪戦苦闘したあとに、試してみることにした。

 

大勢の乗客と鉄道職員がマハーラージに捧げるために食べ物やお菓子をもってマハーラージに近づき、列車に乗るように頼んだ。マハーラージは二つの条件を出した。

(1)鉄道当局はニーム・カロリ村に駅を建設することを約束すること(当時、村人たちは最寄りの駅まで何マイルも歩かなければならなかった)。

(2)鉄道会社は今後サドゥーをより良く扱わなければならない。

 

職員たちができる限りのことをすると約束すると、マハーラージはやっと列車に再び乗り込んだ。そして彼らはマハーラージに「列車を発進させてください」と頼んだ。マハーラージは非常に怒って言った。「何だ、列車を発進させろというのか?」 機関士は列車を発進させた。列車が数ヤード進んだところで機関士は列車を止めて言った。「そのサドゥーが私に命令しない限り、動かしたくありません」 マハーラージが「動かしなさい」といった。ようやく彼らは前に進んだ。

 

当局は約束を守り、その後すぐにニーム・カロリに鉄道駅が建設され、サドゥーたちはより尊敬されるようになった、とマハーラージは語った。

 

ラム・ダス著『愛という奇蹟:ニーム・カロリ・ババ物語』より)

 

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今月の思想

 

ローマ人のように、男らしく、目の前のことに正確かつ真摯に、優しく、進んで、正義をもって取り組むことに、一分一秒集中しなさい。そして、他のあらゆる娯楽を払いのけなさい。

…マルクス・アウレリウス

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発行:日本ヴェーダーンタ協会

249-0001 神奈川県逗子市久木4-18-1

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